風吹く大地の馬と人  河﨑秋子

風吹く大地の馬と人

○北海道開拓と馬

小説を書くことを生活の一部にして以来、馬に関する話を書いてみたいとずっと思っていました。

とはいっても、私は馬が『特別大好き!』というわけではありません。もちろん馬は好きな動物ではあるものの、率直な感想としては『とても難しい生き物』というものでした。

子どもの頃に家で道産子やポニーを飼っていたことがあるのですが、牛以上にこまめな世話をしないとこちらの思う通りにはならず、かといって猫かわいがりすればこちらの足元をみる。スマートで格好いいけれども、飼育するという視点に立つと扱いづらい印象がずっと刻まれていたのです。

しかし母方の実家が根室でずっと生産農家をしていたのと、北海道の過去を書くときに馬という存在は切っても切れないことから、書く対象としていずれ挑まねばならない、という気持ちがふつふつと沸いていました。一昨年の冬だったでしょうか、三浦綾子文学賞という文学賞が創設される、という募集を新聞で見た時、かねてより書きたかった馬の話を書いてこの文学賞に応募してみよう、と思い立ったのです。それが最終的に『颶風の王』という作品として形となり、昨年、ありがたいことに受賞へと至りました。

今年夏に上梓した拙著の中にも書いてありますが、日本人はもともと馬の飼育・管理・育種については欧米のそれと比べて改良の余地が多かったようです。特に開国後当時はまだ騎兵戦、馬による物資の補給、大砲の運搬など、馬はその国の戦力を左右する『道具』の時代でもありました。日本の馬はその意味で小さく、力が弱く、扱いづらい。ここから明治政府が相当な意欲をもって国内の馬の改良・管理に乗り出すこととなります。

北海道においてその影響は大きく、道内各地に軍の改良所が設けられています。特に大楽毛では育種にも力が入れられ、力が強く、外国産馬より体高は低いもののそれ故に日本人でも騎乗がし易い『釧路馬』というも開発されていたそうです。

もちろん、軍馬として以外の用途にも海産物の運搬、伐採した樹木の運搬、開墾、プラウによる耕耘など、農家に大型機械が導入されるまで馬の活躍は続きました。家畜でありながら、生活に密接に結びついた馬という存在は、精神的な面でも人々の心の大事なパートナーであったであろうことは想像に難くありません。今でも道内各地を車で走る時、郊外などに古い馬頭観音がぽつんと佇んでいるのを見ると、かつてここに馬と共に生活をした人々がいたのだという確かな証だと思えるのです。

○実際にあった雪に埋もれた馬

私が住んでいる場所から車で十五分ほどの場所に、根室市厚床という集落があります。地理的に言うと根室半島の付け根に近いところでしょうか。昔から陸路の要所であり、かつては馬市などで賑わった場所と聞いています。周辺で馬を飼育する農家も当然多く、『道産子』も沢山いたそうです。

私が小学校中学年か高学年の頃だったと思うのですが、国語の教科書に厚床で実際にあった馬の遭難話が載っていました。ここ根室地方は道東のなかでも降雪量が少ない代わりに、地吹雪が酷いところです。その横殴りの雪が冬に放牧されていた道産子を襲い、行方不明になったという話だったと記憶しています。

詳細はちょっと心許ないのですが、吹雪がおさまっても道産子四頭ほどが見つからずに持ち主が落胆していたところ、積もった雪の表面にいくつか謎の穴が開いている。そこを掘ってみると、行方が分からなくなっていた馬達が雪の中で身を寄せ合い、互いの体温を頼りに生きていた、という話でした。

この話をヒントに、『颶風の王』では馬と人が雪洞で生き延びようとした、というストーリーラインを作りました。

作中では北海道ではなく東北の山中ですが、北国・雪国ではふと道を誤れば誰もが雪のために命が危ぶまれてしまう、という緊迫感と絶望は相応の形で物語内に反映できたかな、と思っています。

ちなみに、厚床の馬は生き延びていた馬達は互いの鬣を食べ合っていた、というエピソードがあったので、物語では人間が馬の鬣を切り取り食べさせるという話を挿入しました。(実際私も、子どもの頃に飼っていた馬に髪の毛を食べられかけたことがあり、「他にうまそうな草たくさんあるじゃん!」と憤慨した覚えがあります…)

例えば世代も時代も重ねた現代の道産子数頭が、もし同じ状況になった時に生き延びられるのか。もし物語のように妊婦と馬一頭が一緒だった場合はどうなるのか。正直かなり好条件が揃わないと生存は難しいでしょうし、想定しても由無いことではありますが、生き物というのは時にとんでもない生命力を発揮することがありますので、あながち莫迦らしい空想とは言いきれないのかな、とも思います。

○動物を食べる

出版された後に少し驚いたのが、この序盤の『閉鎖空間で人が馬を食べる』シーンを読んだ人の反応でした。凄惨だと思われたり、描写がリアルすぎるという声を頂くことがあり、淡々と綴ったつもりの本人としては『あ、そういうものなのかな』と面食らうことがありました。最初に書いた時はもう少し描写を濃くしていたので、書き直しの際に少しそういった描写を削ったのですが、まだ血生臭さが強すぎたかと少し反省もしています。

思い返せば、私は父が卵を産まなくなった鶏を絞めて捌くのを小学生の頃から手伝ってきました。年末には知人農家から豚の枝肉が半身の塊でお歳暮として届けられ、両親が包丁片手に解体するのを見てきました。

大人になってからは兄が仕留めた鹿をトラクターで吊るし、皮を剥ぎ、内臓を出し、肉から骨を外して精肉の状態にできるようになりました。すべて必要があるからそうしているだけで、特に意識したわけではなくとも、他の生き物を食べる為にどうこうするという行為は自分の生活の一部であったように思います。

その経験が自分の文章をリアルにできた、と言うこともできるでしょうし、逆に普段動物の生き死にから遠い『普通の』人から見れば異様にうつるのかもしれません。その辺りの客観的なさじ加減は、今後人様に文章を読んで頂くことを志すならば、きちんと把握しておけるようにならなければ、と最近少し自戒しています。

○本能と飢え

今回のことで、極限状況下で愛馬を食べるという描写に驚かれた方の多さに驚いたのですが、もし同じ状況下におかれたら同じ選択をする人は結構いるのでは、と密かに考えています。

映画の『ひかりごけ』などは極端な例ですが、自分の生命維持が明らかに難しくなるほどに飢え、しかも目の前には(倫理や感情はともかく生理的な事実として)食べることが可能な動物がいる。そうなった時、生き物としてのヒトがどういう行動を取るのか。自分はヒトとしてどういう選択をするのか。これは、健全な状況で考えるよりも多様な選択肢が待っているような気もします。

第二次世界大戦時、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)はナチス・ドイツ軍に900日間もの間包囲されたそうです。補給路は閉ざされて食料はすぐに枯渇。約300万人の市民は当然、極度の飢えに悩まされることとなります。その結果、普段は大事に飼っていたはずの愛猫までその手にかけたそうです。このため現在、サンクトペテルブルクでは文字通り血肉を捧げた猫達への追悼と感謝の意として、猫をとても大事にするのだそうです。(実際に当時の記録を見ると、猫どころではない凄惨な話が山のように残っており、改めて平和の大切さを痛感します)

私は極度の猫好きで、牛舎に住み付いている猫たちを可愛がっていますが、もしもレニングラードのような極限状況下にあったら自分ならどうするか。そう考えると、絶対に食べないと言いきる自信はありません。(その前に飼ってる牛や羊など、食べ応えのありすぎる家畜がいっぱいいますが…)

興味深い話として、学生時代に馬術競技に打ち込んでいた知人の一例があります。彼は競技や世話で馬と深く親しんでいたため、馬肉が一切食べられず、コンビーフの缶詰も馬肉が混入している可能性があるからと一切口にしません。

その人ならばあるいは、仮に自分の命がかかっていても馬を食べることはなく、飢えていくことを誇りにさえするのかもしれないな、と思います。それはそれで、その心のありようは十分文学として考察し甲斐のあることでしょう。

人間が社会性をとっ払わねばならなくなった時に、生き物としてどんな本能が剥きだしになるのか。個人的にとても興味のある命題であり、今後も小説という形でその可能性を追えれば、と思っています。

○馬肉という禁忌

さて、国や宗教によって食べられる動物の種類が大きく変わってくることはよく知られる事実です。韓国の犬食は個人的にはちょっと腰が引けますが、以前現地でタクシーの運転手さんに聞いたところによると「ありゃあ栄養ありすぎて食いすぎると目が潰れるいさ」とのことなので(栄養と目にどういう関係があるのか謎ではあるものの)、それだけ健康食と見なされ大事にされている食文化ということなのでしょう。

ちなみに、世界で家畜として食べられる動物のうち、いちばん禁忌とされ辛いのが羊肉です。ヒンズー教徒もイスラム教徒もキリスト教徒も食べられるため、(そして美味しいため)、各国の晩餐会で肉料理のメインを務めることが最も多い肉となっています。

馬肉についてはどうでしょう。颶風の王の作中では馬肉食はおろか肉食がタブーという前提になっているように、昔の日本国内で好き好んで馬肉を食べる習慣は少なかったようです。北海道は開拓時代に怪我をした馬などは貴重な食料となった経緯もあり、九州の馬刺し文化などが広く知られるようになったこともあり、現在は一般的にタブーは薄くなっているように思います。

欧米では馬は家畜の中でも扱いが篤いこともあり、馬肉食は絶対に嫌だという人が多いように思います。ただ、フランスでは馬肉料理がひとつのジャンルとして大きくはないまでも存在し、馬肉専門の肉屋が出てくる映画もありました。(ギャスパー・ノエ監督『カノン』)

印象としてはイギリス圏では馬肉食タブーが特に強いように思います。私がニュージーランドで羊の勉強をしていた時のこと。テレビで西海岸ホキティカという小さな町で年一回開かれる『寄食まつり』という催しが報じられていました。

それを見ながら、農場の息子さんが得意顔で「スゲーだろ! NZ選りすぐりのトンデモな食べ物が集まるんだ! 馬の肉とか食うんだぜ!」と言っていたので、「ああ、馬の肉? 日本でも食べるよ。ソイソースつけて、生で」と素直に答えてしまい、あっいけない、と思った時には後のまつり。息子さんはとんでもない生き物を見るような目で私を見ていました。

私の不用意な答えで一人の純朴な少年に日本人の妙なイメージを植え付けてしまったかもしれません。あれは失敗したなー、と今でも時々思い返します。

○いのちを食べる

羊を飼い、育て、それを肉にして販売するという仕事をしていると、時折人から『自分が育てた羊を見て可愛いと思いますか?』『育てた羊を肉にしたり食べるのを可哀相と思うこととかありませんか?』と訊かれることがあります。

答えは、『可愛いと思います』『可哀相だとは思いません』です。羊飼いというのは羊を生まれさせることから羊を適切な時期に適切な形で死なせることまでが仕事です。育てる過程で可愛いとは思いますが、それは家畜としての可愛さであって、ペットとしての可愛さとは異なります。

もともと、私が羊飼いを志したのは『こんなに美味しい肉を自分で生産して人や身内に喜んでもらいたい。もちろん自分でも食べたい』というのが理由でした。そのため、究極的な答えとしては『可愛くてしかも美味しいなら最高じゃない!』となり、こう答えておけば、まあ、大体の方は(多少呆れながらも)納得して下さいます。

個人的な意見ですが、生き物が他の生き物を摂食しなければ生命を維持できない以上、対象が動物であっても植物であっても、そこに本質的な差はありません。命を奪う時、そこには必ず(敢えて言葉を選ばずにいえば)『ある種の暴力』が介在しますし、食われる側は嫌に決まっているでしょう。でもそうしなければ生きていけない。それはもう、受け入れる受け入れない以前に、ただの事実にしかすぎません。

私はその事実にいちばん近いところで生活をしていきたいし、そのことについて深く考察を続けたい。農業をやりながら小説を書くのは大変じゃない? と人から問われることがありますが、私にとってはいずれの欲求も満たす最善の形なのだと思っています。(体力的には本当に辛いですが)

○『馬喰』という言葉

作中、根室で馬を飼育して生計を立てている主人公一家のもとに、『馬喰』という職業の老人が訪れます。(『ばくろう』と読み、『博労』と記述する場合もあるようです)

馬喰というのは現代の言葉でいう家畜商のことで、生産農家や飼育農家の仲立ちをして牛馬を市場などに持って行き、売買する仕事のことです。酪農をしているわが家でも、牛を売る場合は近隣の馬喰さんに買いに来てもらいます。彼らは動物の価値を見定めるプロであり、その知識と経験は尊敬すべきところです。

一度、こんなことがありました。家畜市場に緬羊が出ているから見に来るといい、というお誘いを頂き、地元の市場に行った時のことです。売りに出されていたのは高齢の去勢オス羊で、残念ながら私が求めるような繁殖可能なメス羊ではありませんでした。このため購入はしなかったものの、しばらく様子を見ていると、羊が売らること自体が珍しいため馬喰さん達が次々と寄って行って、肋骨と腰骨の間の背骨周辺の肉付きを触って確認するのです。

その場所は羊飼いがボディコンディションといって個体の肉付きや脂の量を生体から判断するのにチェックする箇所です。モコモコの毛に覆われた羊は見ただけでは痩せている肥えているが分かり辛いため、その部分を入念に手で確認しなければならないのです。

羊飼いならよく知っているセオリーですが、普通の農家は知りません。ですが、たぶん誰に教えられた訳でもないのに、馬喰さん達は的確にそこをチェックし、羊の状態を確認していたのです。ああ、家畜の扱いというものを知ってる人達っていうのはやっぱり凄いなあ、と感心した出来事でした。(当の馬喰さんに言うと「あたり前だべや」と一笑に付されてしまうでしょうが)

さて、この『馬喰』という言葉。『颶風の王』出版にあたり、差別用語なので書き換えることが望ましい、と指摘され正直当惑しました。『馬喰』ではなく、『家畜商』と書き換えるべき、ということで、映画の『馬喰一代記』もタイトルが差別用語のために現在テレビでは放送が不可能なのだそうです。

普段から『馬喰さん』『馬喰さん』と別に差別的な意味合いなど微塵もなく使っている言葉ですし、昔なじみの馬喰さんにこのことを話すと同じように当惑されました。加えて、作中の時代設定では間違いなく使っていた用語を、現代の価値酌量をもとに当時使っていない単語に置き換えることは抵抗を感じます。

このため、他地域では分からないものの作中の舞台である北海道内では差別の意味合いはまるでないこと、むしろ差別用語とされることに馬喰さん側が違和感を覚えること。弱者に配慮した出版のルールが存在するのならば、勿論それに準じはしますが、そこには忸怩たる思いを伴うこと、などを出版社側に(控えめに)申し上げました。

なにより、『馬を喰う』という意味に問題があるというのなら、傷病馬を食料とすることもあった北海道開拓民の実際の生活に後付けの価値観で瑕瑾をつけることにもなります。動物や家畜と生き、その命を利用することによって生活することの業については、作中で捨造老人に『俺らは結局、馬を使い潰さねば生きていけない』と吐露させたように、作品の重要な要素の一つでもありました。

正直、これから初出版という右も左も分からない新人の私がルールに疑問を投げかけるというのは個人的に大それたことです。リスクや恐れはかなりありました。が、ありがたいことに担当の方や校正側の方が真摯に意見を聞いて下さり、最終的に使用可という形にして頂けました。

いち個人の意見に耳を傾けてご理解下さった出版社側に心より感謝すると共に、今回の事例以外でも、文章を書く上で誰かを傷つけうる言葉・表現には特に気を付けなければならないな、と強く自戒した一件でした。

○今も生き続ける馬達

『颶風の王』の作中に出てくる根室半島沖の無人島・花島にはモデルがあります。根室・花咲港沖にある『ユルリ島』という島です。隣にある『モユルリ島』と共に、かつては昆布の漁場であり、現在は貴重な海鳥の楽園となっている無人島です。

現在でもユルリ島にはかつて昆布の運搬のため連れて来られた馬の子孫五頭が生存しています。作中の島は馬が生息することになった経緯や島の地理・条件が違うので、物語の価値観を通してユルリの馬達を見ることは許されません。

実は最初に小説で孤島で生き残った馬のイメージを使いたいと思った時、ユルリ島をそのまま使うと選択も考えました。しかし、小説内で余計な視点をあれこれと付与した時点で、ユルリの馬を所有される方にご迷惑をおかけしてしまうであろうと思い、作中ではユルリ島とはまた違う歴史と環境を有する架空の島を登場させました。

ユルリにいる実際の馬には彼らなりの歴史と理由があり、現在も強靭に生きています。

獣医をしている叔父が根室に赴任していたころ、ユルリの馬に伝染病予防のための注射をしに行ったことがあるそうです。その時は馬は十五頭ほど。人間の勢子十名が投げ縄を以て追いかけて苦労して捉え、なんとか注射していったそうです。予防注射は公の管理のもと絶対に行われなければいけない処置とはいえ、普段人に慣れていない馬が、突然現れた人間達に追い回されて謎の注射をされるのですから、逃げ惑う彼らを捕まえるのは本当に苦労されたことと思います。

あの場所の馬を見守って来た地元の方や学芸員さん達は『あそこは馬にとっての楽園』と仰います。頭数に対して草は豊富で、天敵がいない環境でのびのびと暮らし、ころころと太っているそうです。

現在残っている馬はすベて雌であり、今後種馬を導入する予定はないため、あの馬たちは島でのびのびと生き抜き、将来的には消えていく運命です。それはあの島なりの時の流れの結果であり、そこに第三者が価値観を差し挟む余地はありません。馬達がいなくなった後、それまで食べられていた草は伸び続け、馬の糞による肥料もなくなり、島の植生も変わっていくことでしょう。ひとつの島の運命として、ユルリ島がどう変化していくのか。厳重な保護区であるあの場所を、人間はそれまでの歴史を踏まえつつ、今後もただ見守っていくことしかできません。それに、それこそがおそらくは最善の道なのだろうと私は思っています。

河崎秋子(河﨑秋子)(三浦綾子文学賞受賞者『颶風の王』) 三浦綾子記念文学館 氷点村文庫第1号第1巻「おだまき」 2016(平成28)年12月24日

『颶風の王』単行本

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