永野信夫の成長物語 3つの道(2)大人への道 愛と性に惑いながら

『塩狩峠』は、家族、人間観、友情、生と死、異性愛、罪、信仰などに出会い、誰もが直面する人生の課題に取り組みながら、人間として成長してゆく物語でもあった。ここではそれを「人間への道」「大人への道」「信仰への道」の3つの角度から説き明かす。

Ⅱ 大人への道 愛と性に惑いながら

信夫は成長するにつれ、異性を意識するようになる。恋が芽生え、性に惑いながらも、吉川との友情やふじ子との再会を通して、いのちと人格を尊ぶ愛を学んで行く。

抱きしめたいような胸苦しさ

引用
「ぼくのうしろにかくれなさい」
こっくりうなずいて、ふじ子は信夫のそばによった。ふじ子の着物の裾から、悪い方の足が少し前に出ていた。(略)その時、信夫はふじ子を抱きしめたいような、へんに胸苦しいような気がした。
「かくれんぼ」の章

吉川の妹ふじ子は生来足に障がいがあった。信夫の中に、恋の芽生えと混在しながら、傷んだいのち、危機に瀕したいのちに対して、何としても放っておけない思いが始まる。

吉原の門の前で、回れ右!

引用
(吉川なら、おめおめとこんな所までやってきはしないだろう)(略)
(そうだ、おれは男らしくない)
そう思うと、信夫は心の中で、大きく自分自身に気合いをかけた。
(回れ右!)
「門の前」の章

中学生になると、従兄の浅田隆士が現れる。隆士は自由な人で、男が女を意識することは悪いことでもきたないことでもないと教え、信夫に、もっと言いたいことを言えと勧める。肉体的にも成長してきた信夫は、理性的なはずの自分の中に、性の衝動や誘惑にとらわれる矛盾と不自由さを感じるようになる。隆士は信夫を中学の卒業祝いに吉原に連れて行こうとする。信夫は吉原の門の前で踵を返し、隆士を置いたまま走り去った。

< 吉原とは >
江戸期に幕府によって公認された遊郭のこと。幾たびも火事に見舞われ、社会の変遷に揉まれながらも、昭和32年の売春防止法施行まで300年以上も営業を続け、遊郭の代表的な存在としてその名を馳せた。

あなたはぼくのお嫁さんになるんだ

引用
「必ず、あなたはなおって、ぼくのお嫁さんになるんだ。どんなに長くかかっても、必ずなおってくれなければ困る。しかし、なおらなければなおらないで、ぼくは一生他のひととは結婚しませんよ」
「辞令」の章

ふじ子は佐川と婚約した途端に結核を発病。信夫は押し花を添えて手紙を書き、ふじ子を励ます。北海道に渡った信夫はふじ子に再会し、その明るさと内面的な美しさにひかれる。上司和倉の娘美紗との縁談がきっかけで信夫はふじ子との結婚を決意する。恋愛は〈その人格をかけがえなく尊いものとしてどこまで大事にすることができるか?〉という問いとして迫り、信夫を育てる。

三浦綾子記念文学館 特別展『塩狩峠』「一粒の麦 いのちより重い愛の尊さ」 2016(平成28)年7月1日〜10月28日 パネル掲載文章

『塩狩峠』文庫本

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