永野信夫の成長物語 3つの道(1)人間への道 「人として」生きること

『塩狩峠』は、家族、人間観、友情、生と死、異性愛、罪、信仰などに出会い、誰もが直面する人生の課題に取り組みながら、人間として成長してゆく物語でもあった。ここではそれを「人間への道」「大人への道」「信仰への道」の3つの角度から説き明かす。

Ⅰ 人間への道 「人として」生きること

父貞行の「どの人も尊い」という教えは、頭を垂れた姿とともに少年信夫の心に深く刻まれる。小学校で出会った友人吉川とは互いが光となって励まし合い、生涯の友となった。

人間に上下はない。同じ尊さを持つ

引用
「福沢諭吉先生は天の上に人を造らず、人の下に人を造らず、とおっしゃった。(略) 信夫はあやまることができないのか。(略)」
そういうや否や、貞行はピタリと両手をついて、おろおろしている六さんと虎雄に向かって深く頭を垂れた。(略)その父の姿は信夫の胸に深くきざまれて、一生忘れることができなかった。
「鏡」の章

小学3年のとき、空の向こうに何があるか虎雄と言い争って胸を突かれ屋根から落ちた信夫は「町人の子なんかに屋根から落とされたりするものですか」と言う。父貞行は厳しく叱り、人間はみな同じ尊さを持つと教えた。父の遺書には「真の人間になる」ようにとの諭しがあった。父の教えと姿は、峠で見ず知らずの乗客のいのちを尊ぶことに通じてゆく。

死を考えて生きる

引用
「人間はいつ死ぬものか自分の死期を予知することはできない。(略)
日常の生活において、菊に言ったこと、信夫、待子に言ったこと、そして父が為したこと、すべてこれ遺言と思ってもらいたい。(略)」
「門の前」の章

20歳になった信夫は、父を病で突然失った。祖母トセも父貞之も、有無を言わせぬような急激で非情な死であった。この死を通して、人間は必ず死ぬものであるということを知り、恐れつつも死すべき人間としてどのように生きたらよいのかを考えるようになってゆく。「日常の生活がそのまま遺言であるような確かな生き方」に向き合い始めた信夫はのちに、常に遺言書を携帯するようになる。

約束だから

引用
(約束だからな)
信夫は吉川の言葉を心の中でつぶやいてみた。するとふしぎなことに、「約束」という言葉の持つ、ずしりとした重さが、信夫にもわかったような気がした。
「桜の下」の章

小学4年のとき、信夫は級友と夜集まる約束をしていたが、雨が降り、行くのを止めようとする。「守らなくてもいい約束なら、はじめからしないことだな」と父に諭されしぶしぶ出かけた信夫に、約束の桜の木の下で吉川は、「約束だからな」と言う。二人は生涯の親友となった。友情や結婚など人格の関係の中核は約束であり、約束を通して人は人を尊ぶ。

三浦綾子記念文学館 特別展『塩狩峠』「一粒の麦 いのちより重い愛の尊さ」 2016(平成28)年7月1日〜10月28日 パネル掲載文章

『塩狩峠』文庫本

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