『塩狩峠』のずばり“核心”に迫るQ&A  難波真実

Q1
事故? 自殺? 過失死を美化しているのでは?

引用
藤原氏は、長野氏が線路にとびこむ寸前、うしろをふり向きうなずいて別れの合図をしたのを目撃した者があったと語った。これは正に覚悟の死を意味していると私は受け取ったのである。
『塩狩峠』「あとがき 補遺」

A1
後に「過失死なのに美化している」という異論が出た時、綾子は文庫本の「あとがき」に補遺を付けて反論した。
「彼の生き方と信仰を見てほしい。この人なら当然こうしたはず」という人物からの観点で描こうとした綾子は、人物を見ず当時の鉄道の物理的状況からのみ推論した説には反論せずにいられなかった。

Q2
犠牲の愛とは?

引用
「みなさん、愛とは、自分の最も大事なものを人にやってしまうことであります。最も大事なものとは何でありますか。それは命ではありませんか。」
『塩狩峠』「雪の街角」の章

A2
犠牲という言葉は、「犠牲者」のような否定的な意味で使われることが多いが、本来は第一に「いけにえ」を意味し、第二に「ある目的のために、それに伴う損失を顧みないこと」を意味する。『塩狩峠』では第二の意味が中心主題である。
作中で伊木一馬に語らせたように、犠牲の愛とは、大切な存在のために「命をも与える愛」だと言えるだろう。

Q3
一粒の麦とは?

引用
一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。
『塩狩峠』「巻頭の引用」

A3
聖書の言葉である。イエスが弟子たちに、自らの使命を麦に例えて教えた場面に登場する。小説では永野信夫を指す。
愛によって自分が生かされていることを知ったとき、人は愛を知り、使命を持つ。信夫は、自分の限界とそれを超える愛を知り、与えられた使命に応えてゆく生き方をした。「愛とは意志だ」と綾子が語ったように、一粒の麦とは「与えられた使命に命がけで応えてゆくこと」だと言えるのではないか。

難波真実 三浦綾子記念文学館 特別展『塩狩峠』「一粒の麦 いのちより重い愛の尊さ」 2016(平成28)年7月1日〜10月28日 パネル掲載文章

『塩狩峠』文庫本

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