あいつを殺したのは誰だ! 天人峡で起きたスリル満点の愛憎劇『自我の構図』  難波真実

『自我の構図』とは?

〔発表時期〕

1970年に発表された『愛の誤算』『愛の傷痕』を下地にした書き下ろし作品(1972年7月・光文社)。テレビドラマ化を意識して作られており、1970年に放映されたのを皮切りに、1974年、1978年にもドラマ化され、放送された。
初期の短編群および『裁きの家』『この土の器をも』『続氷点』と並ぶ時期である。
2016年4月に小学館文庫で復刊された。

〔あらすじ〕

舞台は旭川。主人公・南 慎一郎は高校の国語科教員。同僚の美術科教師・藤島壮吉から油彩画の手ほどきを受け、日展に出品した初の作品が協会賞を受賞。またたく間に時の人となった。
ある日、藤島にドライブに誘われ、南は天人峡(東川町)を訪れる。切り立った崖と激しい流れを、二人はスケッチしようとしていた。その時、藤島が突如、姿を消す。それは、藤島による、南への復讐の始まりだった。

テーマ・人は人を愛せない

この物語を一言であらわせば、「優男が調子に乗って勘違いし、人妻に手を出して復讐され、家庭を壊してしまう話」となる。
身も蓋もない言い方だが、内容としては、それだけのことである。
デビュー以降、一貫して、愛を取り上げて書き続けた三浦綾子がこの作品にこめた思いは、“愛せない自分を知る”ということであった。言い換えれば、“愛とは何かを知らない自分に気づく”となろう。
雅子の思いが語られる場面で、「もし人が、人を愛することによって、お互いに苦しむものなら、その愛はどこか誤っているのではないだろうか」と問われる。
苦しむということの定義にもよるが、雅子は「愛とは、こんなじめじめした、陰湿なものではないはずだ」と思う。つまり、おもてにだせない、堂々とできない営みは、それがたとえお互いの愛情によって生まれていたととしても、それは愛ではないというのだ。

慎一郎をめぐる人間関係 嫉妬、鈍感、放棄

問題の発端は、いうまでもなく藤島である。彼が他殺に見せかけた自殺などしなければ、この物語は始まらない。彼の、慎一郎への強烈な嫉妬が引き金となった。
この、「嫉妬」は、この物語のすべてを覆う雲であり、妻の由紀はずっとこれに苛まれた。ラストの場面は、嫉妬による事件である。
ただ、嫉妬は、その感情のままで保たれるわけではない。嫉妬が引き起こす次の段階こそが、人間を崩壊に至らしめる。この物語では、嫉妬が絶望を生んだ。
藤島も、由紀も、嫉妬の先に絶望があった。“これ以上、やっていけない”という思いは、言い換えれば、“この人にはわかってもらえない”という、あきらめの究極の形ではなかろうか。
この、嫉妬も、あきらめも、慎一郎は気づけなかった。自分のふるまいが、人間関係を失わせていることに気づかないという、最悪の鈍感ぶりを発揮したのである。そしてそれは、息子・譲への愛情にもあらわれていた。彼は人間関係を放棄したのだ。

雅子と小西蒼竜  ほのかに見えた良心

この物語で救いとなったのは、同居する姪・雅子であり、絵の師である小西蒼竜だった。
雅子は、慎一郎への思いを持ちながらも、それをおもてには出さず、慎一郎家族を支えた。自らの過去を傷に持ち、それを乗り越えようとする歩みの中で、慎一郎の存在は大きかっただろう。
慎一郎が窮地に陥った時、雅子が気を利かして打った手が、彼を救った。しかしそれは彼との別れの引き金にもなった。
小西蒼竜は、絵の師匠であるが、それだけではない。藤島のことも、慎一郎のこともよく理解し、だからこそ、この事件は蒼竜にとっても忌々しく、悲しく、嘆きたかったに違いない。それでも、慎一郎をかばい、気遣い、美枝子や雅子の進路も用意し、それぞれの生きていく道を開いていこうとした。
愛の失われたこの物語で、愛のありかを問うこの二人は、ほのかに見える良心であり、読者に気づきを与える存在である。

イメージしてみよう  自我の構図

“構図”とは、写真でいえばアングル(画角)である。キャンバスに、何を描くかということであり、この物語が画家を扱っていることから、このタイトルになったと考えられる。
せっかくなので、私たちも、構図を考えてみよう。

○誰(何)を描くか
○誰(何)を手前に置くか
○誰(何)を中心に置くか
○誰(何)を背景に置くか
○誰(何)にピントを合わせるか

難波真実 三浦綾子記念文学館 講演配布用資料 2020(令和2)年1月15日

『自我の構図』文庫本

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