地域が生み育てた作家・三浦綾子  難波真実

皆さま、こんにちは。三浦綾子記念文学館の難波真実と申します。こうしてお話をさせていただけますことを、大変ありがたく思います。また、いつも文学館をお支えくださっていますことに、心から感謝申し上げます。

本日は作家・三浦綾子をご紹介したい、そのお話をさせていただきたいと思います。
ポイントとしては3つございます。
1)三浦綾子の青春時代
2)代表作『氷点』のこと
3)生きること・ゆるすこと・愛すること

彼女のお父さんは留萌の上の、苫前の出身です。彼女は小さい頃に一度苫前を訪ねたようですね。この、苫前を舞台にして書いたのが『天北原野』という小説で、1974年52歳の頃の作品です。お読みになられた方はいらっしゃいますでしょうか。ぜひ一度、お読みになってください。

私は士別市(さむらいしべつ)に住んでいるんですが、もう12年になりますが、もともと兵庫県の神戸の出身でして、海の見える街なんですね。ですから、時々、もう無性に海が見たくなります。潮の香りを浴びたくなるときがありまして、時間を作って、えいやっと、海に向かうんですが、士別というのは旭川と同じく内陸ですから、海がない。そこで、オホーツク側だと、興部とか、雄武まで行くわけですね。で、日本海側ですと、苫前ということになるわけです。どちらも2時間くらいかかるんですが、初めて苫前で海を見たときは感動いたしました。生まれ育った瀬戸内海とは違って、ほんとに、海!という感じ。ほっけと昆布の海ですね。そして、稚内に向かって北上する、オロロンライン。海、道、草。この3つしかない、初めて見る光景でした。圧倒されました。ほんとに道北が好きになりまして、おそらく一生ここから離れないだろうと思いますが、この『天北原野』を読みましたら、もうほんとに、その空気と言いましょうか、風景までも含めて、世界がそのまま広がっている。なかなか顔を出してくれない利尻の山も、まぶたに浮かぶようであります。そして、“春を待つ”ということの尊さがしみじみと伝わってまいります。過酷なまでの冬の厳しさ、だからこそ、じっと春を待つ。ただ単に待つというのではなくて、積極的に待つ。そして、いよいよ春を迎えるときの喜び。はじけんばかりの嬉しさが、北海道の風土を作り上げているのだと思いますが、三浦綾子は、“春を待つ”ということの美しさと大切さを繰り返し語りました。『氷点』というタイトルも、まさに北海道のといいますか、道北ならではの張り詰めた空気感があらわれています。

私が初めて旭川を訪れたのは、北海道に移り住んで札幌におりました頃で、ちょうど寒い、2月でした。駅から降りて、バスに乗って、見本林のほうにきたんですが、ほんとに寒い。札幌とは違う空気に包まれました。けれども、これだ!と感じたんですね。ナナカマドの実が、真っ白な世界にただひとつの彩りとして赤く輝いている。空は澄んで高く、陽の光が薄い。でもまぶしい。きしっ、きしっと、雪を踏む音が鋭く聞こえます。ここに三浦綾子の世界があると、肌で感じました。文字通り、地域の作家だったんですね。ここで書くんだという彼女の強い思いが、だんだんと私にも分かってきたような気がいたします。

『氷点』は、朝日新聞社の1千万円懸賞小説で入選したんですが、何の経験もない1主婦が入選したということで話題になりました。空前の氷点ブームを生み出しました。『続氷点』も含めますと、映画化、ドラマ化は9回にもおよびます。50年前当時の1千万円というのは、いろんな計算方法がありますので、一概には言えませんが、今の約2億円と言われています。そのお金を何に使ったかといいますと、そのうち半分は税金ですね。そして残りは、綾子さんの療養生活で実家は困窮しておりましたから、その借金の返済だとか、お世話になった方々への御礼だとか、そういうことに使われたようですね。
光世さんがよくおっしゃってたんですが、綾子さんはそのときにテレビがほしいといわれたんだそうですね。でも、光世さんはOKしなかった。「わたしはケチな夫でした。綾子がもらった賞金なんだから買ってやればよかったんだけども、買わなかった。天国に行って謝ってやらんといかん」  おそらく、天国で綾子さんと再会したときに真っ先にそれをおっしゃったんではないかと思います。
『氷点』というタイトルは、夫の光世さんが提案したとされています。光世さんは、そのときのことを繰り返し繰り返しお話してくださいました。本当にうれしそうでした。綾子さんが「それは素敵だわ。さすがあなただわ」と言われたことを昨日のことのように、ずっと語ってらっしゃいまして、ほんとに仲がいいなあ、これが夫婦円満の秘訣だなあと思いました。それでいてね、お二人の結婚式のときには、誓約が終わって退場するとき、本当は腕を組んで並んで退場するんですけど、光世さんは綾子さんをおいて先に行っちゃったんですね。それもまた光世さんらしいエピソードですけどね。
『氷点』が世に出てから、三浦夫妻のところにたくさんの手紙が届くようになりました。そのうちの1通が、綾子さんの心に残りました。それは、娘さんを亡くしたお父さんからの手紙でした。『氷点』を読んで、自殺をされたそうです。綾子さんは、本当に苦しい思いをしたようですね。「生きてほしい、生きることの尊さをわかってほしい」と、そういう思いで『氷点』を書いたんだけれども、結果的には、ヒロインの陽子のように、自殺を計ってしまう子がいた。そして命を落としてしまった。非常に心を痛めたんですね。『氷点』から約5年半後、『続氷点』がスタートします。この『続氷点』では、ゆるしがテーマになるんですね。
『氷点』では、ヒロイン陽子が、“ゆるしがほしい。わたしの心のなかに氷点がある”といって自殺未遂を図るわけですが、『続氷点』では、ゆるしがほしい陽子が自分の出生の秘密を知って、逆に、ゆるせないということになったわけです。ゆるされたいはずの自分が、人をゆるせない自分になった。陽子は傷つき、苦悩するんですね。
『氷点』では、自分が犯罪者の子だ、殺人犯の娘だということにショックを受けて、それまで、清く生きたい、石にかじりついてでも真っ直ぐに生きたいと歩んできた陽子ですが、『続氷点』では、実はそうではなかった。殺人犯の娘ではなかった。でも、分かったのは、自分は不倫の子だったということなんです。自分を産んでくれた母親をゆるせなくなった。自分を人に預けて、罪を隠したまま、のうのうと社会で生活している。そう思ったんですね。石にかじりついてでも真っ直ぐに生きたいという陽子にとっては我慢がならなかった。
この『続氷点』の前に、といいますか『氷点』の後に、第2作目として書いたのが『ひつじが丘』なんです。この作品のテーマが愛とゆるしなんです。主人公の女の子に向かって、お父さんが、「愛とはゆるすことだよ。どこまでもゆるすことだよ。愛とは、人を生かすことだよ」と語るんですね。『ひつじが丘』を読みますと、『続氷点』がよりいっそう分かってきます。陽子は、人をゆるせなかった。でも、自分がすでにゆるされていることがわかった。大きな愛によってゆるされている。それがわかったときに初めて、人をゆるすことができたんです。
『ひつじが丘』の後に書かれた長編が『塩狩峠』です。同じ愛でも、こちらは犠牲の愛ですね。人のために生きるということがどれほど難しいことか。心の中にひそんでいる、思いあがりや傲慢。人のためといいながら、いつのまにか自己満足になってしまって、人を生かすどころか、その人を傷つけてしまう。一粒の麦のように、自分自身は地に蒔かれて形を失い、土に還っていくけれども、自分が生きるのではない、その人の命のために自分を差し出すときに、人は本当の意味で生きることができる。そういう愛を描きました。そしてその次に自伝小説『道ありき』と続きます。『道ありき』では、自分の療養時代のことを描きました。生きるということをテーマにしました。挫折し、病気に倒れ、恋人が死に、絶望と困難のまっただ中で彼女は、道を見出しました。それは、人との出会いが人生を変えるということであり、真実な愛が人生を変えるということであり、“生きる”という意志が道を開くということでした。そこに光があるのだと語られています。
『ひつじが丘』『塩狩峠』『道ありき』、これらの集大成が『続氷点』なんですね。

生きること、ゆるすこと、愛すること。
人が生きていくということにおいて、何が大切なのか。
それは、人を生かすことなんだ、人をゆるすことなんだ、人を愛することなんだ。
人は生かされてはじめて生きることができる、人はゆるされてはじめてゆるすことができる、人は愛されてこそ、人を愛することができる。
三浦綾子は、このことをテーマにして、書き続けました。

人生には道があるよ、どんなに絶望の暗闇の中にいたとしても、決してあきらめてはいけない。あなたには必ず道がある。あなたを生かす人がいる。あなたをゆるしてくれている人がいる。あなたを愛してくれる人がいるんだ。だからめげないで、あきらめないで、生き抜いてほしい。そこに光は射すんだよと、三浦綾子は生涯をかけて語り続けました。

このメッセージは、現代に生きる私たちはもちろん、次の世代の方々に大変大事になってくると思います。

では、ここで講演を終わらせていただきます。
ご質問などありましたらお寄せください。
ありがとうございました。

難波真実 三浦綾子記念文学館 講演配布用資料 2017(平成29)年10月20日

『道ありき』文庫本

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