「母」 課題図書『母』  橋本心寧

小林多喜二の母セキさんへ。多喜二と天国で楽しくやってますか。あなたの幼いときからのお話を知って、気苦労の多く、大変な人生を歩んできた中でも人を信頼し、愛し、とてもやさしい、広い心を持たれた方と思い、尊敬と共に、私もそのような寛大な心を持ちたい、そう思ってこの手紙を書いています。
さて、このようなことを申し上げて偉そうですが、実は中盤くらいまでこの物語のおもしろさに気付かず、惰性で読んでいたようなものでした。手に取って読みはじめたためにこの本を終わらせようと読んでいる、といったような感じだったのです。しかし、真ん中より少し前くらいのところだったでしょうか、多喜二があなたに向けたセリフの、
「世の中の者全部が、自分は人間だ、という誇りを持たなければならん。人間には、していいことと悪いことがあると、みんながわかった時、本当の意味でこの世は変わる。不幸を生きぬく時、人間は幸せになる。不幸に押しつぶされてはならんのだ。」
という部分です。失礼を承知で思い切って申し上げますと、そこら辺からそれまでの秋田弁の、同じようなことから進展がなかったり話が戻ったりしていた、私にはさほど面白くもないような文章とは一転して、時間を忘れて話に引き込まれ、一気に読み終えるまでになったのです。秋田弁に慣れた、というのもあるでしょうが、私はこの引用した多喜二のセリフに要因があると思っています。
この多喜二の言葉は、その言葉が多喜二の口から発せられたその時代だけでなく、いつの時代にも共通の願いであり、同時に目標ではないかと思うのです。この多喜二の言葉に出会って、私はいつこの世が変わる瞬間がくるものかしらと考えました。はたまた、そのような時はゆっくりくるものなのだろうか、とも。果たして、その変わった世の中を私は見ることが、感じることが、できるのでしょうか。それを私は見ることはできなくて、私の子どもなら、孫なら見られるのかしら。それとも、地球はまもなく終わるかもしれないという学者さんもいますから、そんな世の中になる前に地球や人類がなくなってしまうのかしら。ここまで来てもうおわかりかと思いますが、あなた方の望んでいた世の中は、セキさん、あなたが他界した一九六一年から五十八年の月日が流れた今日もそんな世の中のはじまる気配さえ感じられません。警察が虐殺するような時代ではないけれど、政治を動かす人はそんな世の中を考えているのでしょうかね。でも私がそちらに呼ばれるまでの時間を使って、そちらに行ったときによい世の中になった、といったことを伝えたいです。

さて、多喜二さんの死に方は直接関わったことのない私からしてもひどいものです。私なら、共産党に入ってそういった要旨の小説を書き、警察に追いかけられた時点できっと小説を書くのをやめてしまうと思います。それは多喜二の死に様を知っているからかもしれないし、そうでなくても怖いんですもの。今まで一度だって警察に目をつけられたことがないから、追われてこそこそ生きるなんて想像もつかないのですよ。今私が生きている時代の日本はいろんな立場でものを考え、どんな立場からの意見も尊重するということがあなたの他界された年の九年後に憲法で定められました。そんな訳ですので今の日本には仏教の人も、キリスト教の人も、特になんの神様も信仰していない人だって、いろんな人がいます。宗教だけじゃなくて、政治を批判することもできます。これを知って大らかに多喜二の理想を見守り、信頼し愛したセキさん、あなたならきっとこう言うのではないでしょうか、あくまでも私の予想ですが。
「もしわだしらがもうちっと後に生まれたら多喜二は殺されないですんだべか」
「なんでもっと早くみんな気付いてくれなかったんだべな」と。
多喜二には小説以外に絵も音楽も才能があったのになぜそこまでして小説を書き、世に送り出したのか。危険をおかしてまで小説を書きたかった、そんな多喜二の心情を、これも私の推測の域を出ませんが考えていこうと思います。今のあなたは直接多喜二に聞けるかもしれませんが、少しお付き合い下さい。
私が考えるに、多喜二が警察の目から隠れながらも小説を書いていたのは、そのときの貧富や上下のある世の中を変えたかったからではないかと思うのです。世の中から貧しい人をなくし、社会のどん底にいる人に生きる希望をあたえたい、という多喜二の強い願いが警察に追われても小説を書き続けられた、一番の原動力になっていたのではないかと思います。そう考えると、多喜二は弱い者のために死んだ、ともいえるでしょう。間違っていたのは、共産党に入党して反戦小説を書いた多喜二ではなく、いろんな考え方の人がいていいんだということに気付けずに、人を認めることができなかった特高警察だと思うので、多喜二にあなたの言葉で間違ったことをしたわけではない、もっと人間だった自分に誇りをもて、と伝えてください。多喜二もあなたや末松さんによく似た性格だと思います。私にも一人、一歳下の妹がいますが、なかなか優しくなれないものです。なので、どのきょうだいにもやさしく接することができる多喜二さんは本当にすごいひとだと思います。そんな息子に育てられたセキさん同様、尊敬します。

話は変わりますが、私の学校の目標は、「自立を目指す生徒」です。作中でタミさんが「自分で働き通せる自信」という言葉を使っています。今の私の生きている世の中には、仕事を持たず、ずっと家にいる大人がいますが、この言葉通りの自信を身に付けていないのではないかと思います。学生の私の仕事は勉強と考え、今から自信をつけていきたいです。

最後になりますが、セキさんが今回語られたことのテーマを私なりに考えてみましたのでここで述べたいと思います。このお話のテーマは、大きく分けて二つではないかと考えます。一つ目は、人間の生き方についてです。セキさん、あなたはおぼえていられるかはわかりませんが、こう言いました。
「人間は、その仲よくしたいと思うとおりには生きられんのね。ちょっとのことで仲違いしたり、ぶんなぐったり、あとから後悔するようなことばかりして、生きていくのが人間かね。」
多喜二の死と世の中への批判なんかを全部通して発せられた言葉だったのでしょう。私もこの言葉をきいて、納得しました。本当の人間らしさがここに表れているように感じます。そりゃあ人間いろんな人がいますから、多喜二のようにほとんどは人にやさしい人も、特高のようにほとんどは人をなぐる人も、やさしさの割合はみんな違います。それでもこの言葉が人間の土台であり、この上に各々の経験や性格や気性がのって、その微妙な違いからいろんな種類の人間が形成されているのではないかと思います。
二つ目のテーマは家族間の信頼や愛ややさしさだと思います。次は、これもセキさんの言葉ですが、こんなことを言っています。
「いや母は子供を守らねばならんと、その子を生んだ時から思いこんでいるもんだ。何にもできんくても、傍にいてやりたかった。」
私はこの言葉、特に最後の部分に感動しました。私はまだ親の気持ちは全然わからないけれど、強い意志と後悔が感じられたためか、心を打たれました。私の母も、こんな風に思ってくれているのでしょうか。また今の私の生きている世の中の話になりますが、今、自分の子どもが幼いときに、自分で子どもを虐めて殺してしまう、といった事件が増えています。その人たちは、こんなこと思ったことあるのだろうか、とも考えました。また、多喜二もきょうだいへのやさしさがすごく感じられて、この話はさっき書いたので省略しますが、私もそんな風にやさしくなりたいと思いました。私の理想である、みんながみんな信頼し、愛していて、その信頼や愛を失わないように努力する家族で、いいなと思いました。
長くなってしまったのでもうそろそろ終わりにしようと思いますが、この手紙は、ぜひ読本のうまい、チマに読んでもらってください。難しい言葉などがあれば、きっと近くにいるであろう末松さんや多喜二なんかにきいてください。これからも楽しくやってくださいね。私がそちらに行くのはもっともっと後になると思いますが、そのときはよろしくお願いします。それまで寛大な心を持って、人を信じ、愛して頑張ります。
それでは。ご冥福をお祈りします。
山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。

橋本心寧(北海道教育大学附属旭川中学校2年) 優秀賞 B 課題図書部門
三浦綾子記念文学館 第21回三浦綾子作文賞 2019(平成31)年

第22回三浦綾子作文賞 募集

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