私の弟  市川莉子

十二歳の私の弟。弟は普通の子とは違う。私の弟は何ができるにも時間がかかった。首がすわる。すわる。はいはいができる。たつ。あるく。はしる。そんな当たり前にできることを弟ができるようになるにはとても時間がかかった。弟が生まれて一年ぐらいの弟の記憶は、ほとんどない。たつ、あるくまでは大分時間がかかった。まずは、はいはいの特訓だ。私も一緒に家の中をはいはいをしていた。はいはいでの鬼ごっこなどで、その日の練習のノルマをクリアした。
私と弟は二歳差で、年の近い兄弟だ。でも、同じような年齢の弟がいる友達のように私が弟と遊ぶということはない。ゲームをするとなれば九十九%の確率で私が勝ってしまうからだ。なので私は手加減をしていた。私が勝ち、弟が負けると弟は大泣きする。そして第二回戦が始まる。第二回戦、やるしかなかった。小さいときは四歳年上の兄も一緒にやっていたが、大きくなるにつれ参加しなくなった。

六年前、私の九歳の誕生日。両親から何がもらえるのかとてもワクワクしていた。そのプレゼントは木のパズルのおもちゃだった。私はすごくうれしかった。すぐ開けてちょっと遊んでみた。ピースは限られた数しかないのにパズルを作ることのできるパターンは何種類もあった。うれしい気持ちとありがとうの気持ちを両親に伝えていた時に、事件は起きた。弟が私のもらったプレゼントの箱を破いたのだ。破れたのは箱の側面、五センチくらい。急いで私は弟の持っている箱を奪い返した。箱は固い頑丈だったから余計に驚いた。私は泣いてしまった。私がもらった誕生日プレゼントなのにどうして弟に壊されないといけないの?弟に対する怒りと壊された悲しみとでどうしたらいいかわからなかった。けれども弟は謝らず、お母さんが謝るだけだった。なんで謝ってくれないの?という思いもあった。その後の私のプレゼントはどんどん壊されていくのだった。
私の弟はダウン症。要するに、障害児だ。ダウン症は、二十二対の染色体のうち二十一番目の染色体が通常は二本のところ三本ある染色体異常だ。ダウン症の代表的な症状は、全身各種臓器にみられ、成長面や発達面にも及ぶ。ダウン症の人はとても特徴のある顔立ちで、共通して全体的に顔は平坦で、厚い唇、大きな舌、つり上がった眼などがある。また、成長の発達面では、筋力が少なく、言語発達の遅れがある。なので、行動がゆっくりで、おっとりした性格に見られることがある。言葉も何を言っているのかわからないことが多く、単語だけを言ったり、語尾だけを言ったりするので聞き取れる人は限定されることが多い。私の家族は弟の言葉をほとんど聞き取ることができる。家族にはわからなくても私にはわかることが多々あった。でも、初めて会った人には伝わらないだろう。

2006年、私の弟は生まれた。私には兄しかいなかったため、弟が生まれたのはすごくうれしかった。そのころは、私は弟がダウン症なんて知っているわけもない。まず、ダウン症なんて知らなかった。弟が、病気ということも知らなかったと思う。でも、お母さんが泣いていた姿を見た私は、何かを感じたのか、お母さんをなでなでしていたらしい。私にはそのころの記憶はない。
弟が生まれて一年。私は三歳になり幼稚園に通える年齢になった。私が通っていた幼稚園は三歳での入園が可能で、年少を二回行う仕組みだ。お母さんも弟のことで大変だったのだろう。この幼稚園はバスが通っていて、家の近くまで迎えに来てくれる。バス停まではお母さんが送ってくれた。バス停までは手をつないで行き、バスが来るまではおしゃべりをいっぱいした。私はそのちょっとした時間が大好きだった。でも弟は、幼稚園には通わなかった。家で弟は、オリジナルの運動や勉強などのプログラムを行っていたからだ。そのプログラムは大変で丸々一日かかるものだった。私が家に帰ってもそのプログラムは続く。そして私も一緒にそれを行っていた。
弟が三歳のとき、ダウン症の治療のためアメリカに行くことになった。行くのは弟とお母さんとお父さんだ。私と兄は同居している祖父母のところでお留守番だ。正直さびしかったと思う。でも、帰ってきたときとお土産はとてもうれしかった。治療のセンターは東京にもあり私が小二のときに一緒に行った。だが、お父さんがインフルエンザになってしまった。弟が検査を受け、その他の日はお母さんがセンターの勉強会に行く。検査の日と勉強会の日は別なのでお母さんが勉強会の日は私が弟の面倒を見る役目だった。でも特にやることはなく、暇だった。とにかくやることがないのだ。ゲームといってもタブレットのアプリは弟には難しく、すぐ飽きてしまう。私と弟でできるゲームはほとんどなかったのでそのときの唯一の楽しみはご飯だった。

弟も六歳になり、小学校に入学した。けれど、学校には通わず家でプログラムを続けていた。毎日毎日、プログラムの繰り返しだ。弟が小学校二年生になったとき、お母さんと学校に通うようになった。それも普通学級にだ。学校、担任の先生、同じクラスの子の理解もあり、楽しんでいたらしい。お母さんとは、行く時も授業のときも一緒だ。初めての集団での生活に両親はとても心配していたが、周りの子がとても良い子達だった。登下校中には違う学年の子などに「なんでしゃべんないの?」「何て言っているの?」など、言われたらしい。外に出たことにより障害のことを知らない人や子供に偏見の目で見られ、色々言われることもあった。お母さんはその人たちに説明するが、なかなか伝わらない。怒ってもいたが悲しそうだった。小三から小四はまた家でのプログラムに戻り、小五から完全に小学校に通うようになった。家での弟はすぐ泣く。ちょっと怒られただけで泣く。そんな弟が私はだんだん面倒臭くなっていった。泣くと弟が悪くても私が怒られるからだ。そんな弟が嫌いになったこともあった。

そんな弟も今では中学生になり、小学校では着ていなかった制服を着て支援学級に毎日通っている。制服も小さなボタンがたくさんあり難しいようだ。支援学級の先生にも恵まれ、学校が楽しそうだ。
ダウン症という障害を持って生まれた弟。私の家族は普通の家族とは違うと思う。けれど、弟は私の家族の一員ということには変わりない。この世界でたった一人しかいない、かけがえのない私の弟だ。私はいろいろな障害の方、支援者の方、関係者に出会えた。また、私の視野が広まったと思っている。弟と一緒だからこそ、今の私がある。これから長く続く私の人生でも、弟と一緒に笑い、泣き、たくさんの思い出を作っていきたい。

市川莉子(立命館慶祥中学校3年)優秀賞 A 自由作文部門
三浦綾子記念文学館 第21回三浦綾子作文賞 2019(平成31)年

第22回三浦綾子作文賞 募集

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