私の道 課題図書『道ありき』  豊田花奈

私は中学から、キリスト教主義の学校に通っている。私立のわりと有名な女子校で、親の影響で中学受験をした私は、キリスト教ということはあまり考えず、ただ、母が勧める学校であるし、入学者は中学受験をした賢い子ばかりなのだろうと、楽しみにしていた。入学直後も、キリスト教には初めてふれたものの、これから向き合っていくのだな、と漠然と信頼感のようなものがあった。しかし、入学してしばらくすると、なんだか違和感を覚えはじめた。私が入学してしばらく、持ち前の人見知りを発揮して友達ができず、精神的に不安定だったというのもあるが、なんだか思い描いていたのと違う、と気づいたからだと思う。自由な校風と言われる学校だったが、実は無法地帯なだけなのではないかと思ったこともある。それでも、やっと友達も少しできて、流されるままに進級した。

転機が訪れたのは中二の時。父が7ヶ月ほど、イギリスに行くことになったのだ。クラブやなんやらでいろいろ悩んでいた私は、ついていくことにし、結局、父母と私と妹の、家族全員で行くことになった。イギリスでも、英語やなんやらで大変だったが、楽しいひとときを過ごして、中三の途中に帰ってきた。しかし、またもとの学校に戻ったのだが、驚くほど授業がつまらない。なんだか知っているようなことばかりだし、授業の進みも遅くて、そのかわり宿題は多く、テストは難しい。私は人見知りなのかコミュニケーション能力が欠如しているのか、友達が少なく、そのことがコンプレックスなのであるが、そのために、学校自体つまらない。先生たちも信用できなくなり、46人も教室に詰め込まれるのが苦痛で仕方がないのだ。私は勉強したいのに、学校が、妙にやる気をなくすのだ。言い訳だと責められるかもしれないが、私の本音なのだ。

三浦綾子さんの本は、今まで読んだことがなかった。人並みに読書習慣はあると思うのに今まで読まなかったのはなんだか悔しい。彼女はクリスチャンであった。それはなんとなく知っていた気がする。でも、『道ありき』を読んで、彼女がクリスチャンであったということを痛感した。キリスト教とはどういうものなのか、という問いにも私は新しい答えの切り口を感じた。
私はもう2年近くも、学校のある日は毎朝礼拝、という学校生活を送ってきた。しかし、私はキリスト教の本質をほとんど理解できなかったし、最近は、神なんてなんだ、と反抗的な態度もとっていた気がする。でも、よく考えれば、キリスト教をよく理解しない私に、神なんてなんだなんていう資格はないし、先生たちや同級生への不信感で、キリスト教や神というものへの考え方が歪められていたのかもしれない。私の学校では、同級生のなかで、信仰について真剣に考えている人はたぶん一人もいないし、先生たちも礼拝中寝ているなどするのだから、もうキリスト教学校である必要はないのではないかと思ってしまう。まあ、人によっては結構いいと思う学校なのだが、要領のいい人ならまだしも、私は教育の姿勢が首尾一貫してないのは嫌なのである。そんなわけで、自分の学校にすっかり愛想を尽かした私だが、困ったことに私の学校は中高一貫なのである。このままぼんやりしていると、あと三年はこの学校で過ごさなければいけない。

そんななかで、私は三浦綾子さんの『道ありき』を読んで、なんだか自信をなくしてしまった。私はなんてちっぽけな人間なのだろう、と思ったわけである。
彼女は二四歳にして、教え子への責任感を感じ、教師を辞めた。その後結核を発病し、人生の意味がわからず虚無感を感じるようになるのだが、ここのところは、私は深く共感する。私もときどき感じるからである。虚無感というのは、言葉で表しにくい。だって、もうどうでもいいのである。それを表現したってなんになろう。しかし、この人の虚無感には、芯があるような気がするのだ。彼女は、みんなに好かれ、いくらかの男性に愛される。その時、彼女はこう尋ねるのだ。愛するってどんなことか、と。凄い人だと思う。また、その強さを、彼女の周りの人は愛するのであろうし、私も尊敬する。彼女は正直な人である。自分自身にとても正直だと思う。自分自身に正直に生きるのはとても難しい。私はこの数年、自分に嘘をつかなかった日があるか疑わしい。だからこそ、三浦綾子さんの正直さに憧れのようなものを感じる。彼女は自分の、責任感にも、虚無感にも、自殺願望にも、恋愛感情にも、哀しみにも、喜びにも正直なのである。
正直さを貫くには、意志の強さも必要である。それは、暗い病室を楽しいものに変えてしまえるような強さである。見知らぬヤクザに自分の意見を言えるような力なのだ。最初、彼女の書き方があまりに自然なので気にとめなかったのだが、彼女は実に尊敬すべき人だと思う。その尊敬に値する強さは、洗礼を受けてから、一層確かなものとなった。

宗教というのは、学問のなかでも、特によくわからないものである。それは、人々の精神と深く関係しており、そう簡単に理解できるものではない。私も、よくわからないので偉そうなことは言えないが、一見するとアホらしいものが、実は真理のようなものであることも十分にあり得ると思う。そして、追究していくに値するものだと思う。綾子さんをはじめとする、この本の登場人物は宗教の大きさを何故かちゃんと知っていた。しかし私は宗教色の薄い日本で、せっかく中学でキリスト教という宗教に触れられるありがたい機会を得られたのに、みすみすスルーしようとしていたのだ。わけわからんと言って毛嫌するのはよくないと、心にしっかりと刻まれた。
そして、そのキリスト教の深さが、綾子さんの強さを、信仰という形で確かなものにしたのである。一度信じるものを奪われた彼女は、再び信じることができるようになった。
私には、まだキリスト教というのはよくわからない。神もわからない。でも、神を信じる方がお得なのだそうである。神を信じれば、もしいなくても、なあんだ、で済むが、信じなくてもしいたら、顔向けできないというのである。神をそんなふうに考えるのはなんだか不思議な気もするが、なんだか緊張がほどける思いがする。いいのだよ、わからなくて、自分に正直に生きていいのよ、とそんな声が聞こえるようで、なんだかほっとする。そして気づく。私の通っている学校の理想の自由さはこれかと。
私は、これから大人になっていく。大人になるということは、自由になっていく反面、自立しなければいけないということでもある。それには必要なのだ、三浦綾子さん的な強さが。私は今まで大人になりたくなかった。大人になって背負わなければいけないものは、とても大きく思えて、怖かった。でも、今、自由というものを認識し、ああ私は大人になるのだ、と自覚した。
高校受験。それは私に今まで縁のない言葉だった。しかし、自分の意志を覚悟した今、それは現実味を帯びてきている。これから自分がどう生きるにしろ、自分で選択し、自分で責任を負える人になりたい。

豊田花奈(女子学院中学校3年) 最優秀賞 B 課題図書部門
三浦綾子記念文学館 第21回三浦綾子作文賞 2019(平成31)年

第22回三浦綾子作文賞 募集

関連記事

  1. 三浦綾子・三浦光世の短歌  ―― 精読「アララギ」土屋文明選  田中綾

  2. ふるさとの子どもたちの 歴史や文化を学ぶ「場」に  合田俊幸

  3. 肋骨の小箱と手紙  森下辰衛

  4. 最優秀賞を受賞された方へ  深川麻衣

  5. 1989(平成元)年 6月18日:34年前の光世との出会いを回想

  6. 明智光秀の娘・玉子の“道ありき”  長友あゆみ