1955(昭和30)年6月18日:三浦光世との出会い

1955年6月18日(昭和30年6月18日) 33歳
6月18日(土)、この日の午後、三浦光世の訪問を初めて受ける。
綾子は次のように記している。

 わたしが三浦と初めて会ったのは、昭和三十年の六月十八日であった。その朝、中庭のただ一輪のバラが花を開き、なにかいいことのあるような、美しく晴れ渡った日であった。

「天の録画」(『愛すること信ずること』所収)

 その予感通り綾子と光世にとって生涯忘れ得ぬ日となった。綾子は三浦光世が亡き前川正にそっくりであることに衝撃を受ける。

廊下を渡る静かな足音がして、白に近いグレーの背広姿の青年が、わたしの部屋に入って来た。一目見てわたしはドキリとした。何と亡き前川正によく似た人であろう。
 初対面の挨拶をかわしているうちに、その静かな話しぶりまでが、実によく彼に似ているわたしは思った。
(似ている、似ている)
 と彼を見つめていた。
(中略)
清潔な表情だった。そして落ちついた静かな人だった。そのどれもが、あまりにも前川正に似ていると、わたしは何か夢をみているような気持だった。

三浦綾子『道ありき』(新潮文庫) 四五

この日の夜のうちに、綾子は光世に礼状をしたため、再度の来訪を待つ旨を書くが、光世からは何の返事もなく、また訪ねても来ない。義理の見舞いであったか、と日がたつにつれ淋しく思っていたが、ふと、あれはもしかしたら、人間ではなかったのかもしれない、前川正の死を嘆く自分を神が憐れみ、正に似た人に見舞わせたのかもしれないなどと思ったりもしのだった。

 後年、光世は次のように述懐している。長くなるが、三浦光世『妻と共に生きる』(角川文庫)から引用する。

一九五五年六月十八日――この日がのちに、生涯忘れ得ぬ記念の日になろうとは夢にも思わず、一枚の葉書を背広のポケットに、私は勤務先の旭川営林所を出て、堀田綾子の家を訪ねていった。
 さわやかに晴れた土曜日の午後であった。当時私は、営林署の経理事務を担当し、週日は八時九時まで、みんなが正午に帰る土曜日は五時頃まで残業をするのが常であった。その日六月十八日は、珍しく早目に仕事を切り上げたのであったろうか。
 ポケットの葉書は、札幌の菅原豊という方からの葉書で、「どうか堀田綾子さんを見舞ってあげて下さい」と書かれてあった。菅原氏は既に故人となられたが、結核療養の傍ら、月々「いちじく」という謄写版刷りの冊子を発行しておられた。日本各地から寄せられる結核患者、牧師、死刑囚等のキリスト者の手紙、詩文等を編集、自らガリ切りをして配布しておられたのである。「いちじく」誌はいわば結核療養者やその体験者を主とした信仰の交流誌ともいえた。「いちじく」誌を私に紹介してくれたのは、死刑囚S君であった。何かのことからS君と文通しているうちに、こんなグループがあるので入ってみてはと勧められたのである。同誌に旭川から手紙を寄せていたのは、当時堀田綾子と私だけであったと記憶する。ある時彼女の文章に注目させられ、
「同じ旭川におりながら、どこにおられるかわからぬ堀田綾子様、どうかお大事に」
 という便りを菅原氏に出した。菅原氏は光世という名の私を女性と思っていたらしく、女性は女性同士で励まし合うとよいであろうと、私に葉書を下さったわけである。
(中略)
私は、離室の六畳間に案内された。そこが堀田綾子の病室であった。カラフルな装飾の何もない質素な部屋であった。クレゾールの匂いがまず鼻をついたことを、今でも覚えている。六畳間の片隅を占めて、木製のベッドがあり、その上に彼女は身を横たえていた。掛け布団を胸まで掛けていたが、ギプスベッドが肩と首、そして頭の半分を覆っていた。その丸顔は痩せ衰えているふうにも見えなかった。が、むくみを帯びているようで青黒く、どこか不自然に見えた。澄んだ大きな瞳が美しく印象的であった。
 ベッドの傍らに置かれてある椅子に腰をおろし、あの日私はどのくらい話をしたことだろう。肺結核を発病して既に九年、更に脊椎カリエスを併発して三年、今は寝返り一つ打てないというのに、
「寝ているだけの病気です」
 と、彼女は淡々として告げた。その声も澄んでいて、弱々しい響きはなかった。それにしても大変な日々であると思った。只の一夜でも寝返りを禁じられたと仮定してみたらわかる。私は自分の体験を語って、希望を失わぬように励ましたものの、いささか言葉が空を打つような心地だった。彼女はストレプトマイシンも副作用ですぐ中止したという。
 やがて、好きな聖書の箇所を読んで欲しいと言われて、私はヨハネによる福音書第十四章の中の次の言葉を読んだ。

〈あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意が出来たならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう〉

三浦光世『妻と共に生きる』(角川文庫)「忘れ得ぬ日」より

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