香也子は、ひとくち汁をすすって、
「あ、そうそう。ね、お父さん。わたしね、あの時ボーイフレンドができたのよ。お茶席で、わたしの隣に正客になった人」
「!?………」
恵理子はハッと長いまつ毛をあげて香也子を見た。
「何? ボーイフレンド? お前にはボーイフレンドなど、いなかった筈じゃないか」
「表向きはね。わたしだって三人や五人いるわよ、お父さん。ほら、お姉さんも知ってるでしょ、西島さん」
「西島さん?」
「あら、知らないの? あの人、お姉さんの近所にいて、木工団地に勤めているんですって」
(西島さん……)
恵理子は、はじめてその名を知った。
「おやおや、あの日にお前、ボーイフレンドまでできたのか」
「できたわよ、お茶をいただいてから、ふたりで頂上まで登って行ったの。あの人、木工団地の家具のデザイナーなんですって。すてきでしょう」
「木工団地のデザイナー? 何ていうんだ」
「だから、西島さんっていったでしょ」
「ああ、じゃ、三K木工の西島君のことかな」
容一も身を乗り出す。
「そうよ。お父さん知ってるの? 三K木工の西島さんって」
「そりゃ知ってるさ。なかなかいい才能を持ってるらしいぞ。西島君にソファーやテーブルの特注をする金持ち連中がいるからなあ」
恵理子は、ふっと落ちこむような淋しさを感じた。
「わあ、西島さんって、才能があるのねえ、やっぱり。あの日ねえ、ふたりで、人けのない頂上の小道を歩いて行って……そして、あとはご想像にまかせるわ」
香也子は愛らしく肩をすくめてみせた。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 八」