「ねえ、わたしたち三人は、水入らずよね。血が通っているんですもの。章子さんや小母さんとは、ちがうわよねえ」
機嫌の一変した香也子にとまどいながらも、容一もうれしそうに笑った。
「やっと機嫌がなおったね」
「あら、わたし、はじめから機嫌なんかわるくなかったわよ。大好きなお姉さんに会うのに、機嫌なんかわるくなる筈ないでしょ」
「はいってきた時の顔は、そうでもなかったぞ。なあ、恵理子」
「そりゃあ当たり前よ、お父さん。とびあがりたいほどうれしくたって、ちょっとはすねて見せなくちゃ、お父さんの教育に悪いもの」
ニコッと笑って、小さな舌をちろりと出して見せる。
「お父さんの教育にわるいは、参ったな。なあ恵理子、お父さんはこうして、いつも香也子にいじめられているんだぞ。かわいそうだろう」
「うそよ、かわいがってるのよ。あ、お父さん、わたしワンタンだけでいいわ。おひるだから。あと何もいらない」
「ワンタンだけか。おやすいご用だ」
二人のやりとりを、恵理子は羨ましげに見守った。仲のいい父娘だと思った。祖母のツネと母の保子との三人の、男けのない家庭に育った恵理子は、わがままいっぱいに容一に甘えている香也子が、ひどく幸せに思われた。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 八」