「ここにいることが、よくわかったねえ」
香也子は容一の顔も見ずに、天井から吊りさげられたランタンに目をやって、
「いまわたし、お父さんの会社に寄ったのよ。そしたら、秘書の笹さんが、お父さんはもうホテルに出かけましたよっていうじゃない? ホテルに何しにって聞いたら、お嬢さまと中華料理をおあがりになるって。あらそんな約束だったかしらと、きてみたのよ。お嬢さまちがいとは知らなかったわ。馬鹿にしてる」
「そうか、そりゃあちょうどよかった。何を食べる? 香也子」
「何がちょうどよかったのよ。ごまかさないでよ、お父さん」
ウエートレスの持ってきたコップの水を香也子はひとくち飲んで、はじめてきっと容一を見た。その香也子を見つめながら、幼い時と少しも変わらないと、恵理子は思わず微笑を浮かべた。香也子はいいたいことは必ずいい、したいことは必ずする性格だった。自分の制服のスカートをずたずたに切りさかれたことさえ、いまの恵理子には懐かしい。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 八」