「わたし、あまり得意なものがないんです」
「そうでもないんですのよ。人様のスーツや、オーバーを縫いますしね。お茶も、将来はおばあちゃんのあとを継げるんじゃないですか」
「ほほう、たいしたもんだ」
前に保子に会って聞いていたことを、容一はいまはじめて聞くような顔でうなずき、
「どうだね、恵理子。お前、洋裁店でもひらいてみたくはないかね」
「思いますわ」
思わず恵理子の声が弾んだ。恵理子は高校を卒業して、洋裁学校に学んだ。その頃から、洋裁店をひらいてみたいという夢をもっていた。大きくなくてもいい。きれいな、透きとおるショーウインドーの中に、自分の好きな布地で、自分の好きな形にデザインしたドレスやコートなどを飾る店を持ちたかった。が、そんなことは、ツネと保子との生活の中では、いいだしても仕方のないことに思われて、語ったことはなかった。
「ほう、やりたいかね。やりたけりゃ、お父さんが応援するよ」
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 七」