いつも家の中で洋裁をするか、祖母のお茶の稽古の手伝いをするだけの恵理子の生活は、ほとんど異性に接する機会のない生活だった。そのうえ、いつも祖母のツネから、
「恵理子、結婚なんて、それほどあこがれるほどのもんじゃないんだよ。何せね、男なんて者は、生ずるいもんなんだから。女房の目を盗んでは、ほかの女に手を出す。それが夫というものだと思っていたら、まちがいないよ。おばあちゃんや母さんを見てたらわかるだろ」
と、くり返し聞かされてきている。たまに高校時代の級友から電話がかかってきても、それが男の声であれば、
「留守ですよ」
と、ツネはにべもなく受話器を置いてしまう。祖母のツネにとっては、恵理子かわいさの思いですることだろうが、いつしか恵理子は、男性に近づくことも憚られるような思いにさせられていた。だから、向こう岸に現れた、ギターをかき鳴らすあの青年が、野点の席にきた時の喜びは、恵理子でなければわからない喜びだった。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 六」