「いま、お兄さん、好きな人ができたらって、おっしゃったわね。じゃ、その好きな人がお兄さんだったら、どうするの」
「え?」
金井は香也子を見た。香也子の必死な目が、金井を見つめている。
「香也子さん、そんなことをいっちゃいけないよ」
「どうして? どうしていけないの?」
「だってぼくには……」
「章子さんがいるというの」
「そうですよ。ぼくには章子さんがいる」
「ねえ、章子さんとわたしとくらべて見て。わたしは章子さんよりもつまらない女?」
「そんなことはありませんよ。あの人はあの人、あなたはあなただ」
「ずるいわ。逃げないで、お兄さん。わたしほんとうにお兄さんが好きなの。好きで好きでたまらないの」
いいながら香也子は、本当に自分は金井が好きなような気がした。このどこかさわやかな金井政夫が、ひどく得がたい男性のように思われてきた。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 四」