「ね、お兄さん、わたしにもキスをして」 「えっ?」 金井は思わず口からタバコを離した。

「ね、お兄さん、わたしにもキスをして」
「えっ?」
金井は思わず口からタバコを離した。
「章子さんには恋人のキス、わたしには妹のキス」
香也子はニッコリと笑った。ひどく愛らしい笑顔だった。目がキラキラと輝いている。
「困ったお嬢さんだなあ、君は。君はねえ、いままでそうやって、いろんな人にキスをしてもらったの」
金井は皮肉な語調でいった。
「まあひどい! わたし、キスなんか、まだ一度もされたことないわよ。わたし、お兄さんだからしてほしいのよ。きょうだいのしるしに」
「香也子さんねえ、君にもし好きな人ができた時、その時に、とにかく生まれてはじめてのキスを受けたらいいよ」
金井はタバコを灰受けに入れ、ハンドルに手をおいた。その手を、
「待って」
と、香也子はおさえた。

三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 四」

『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

関連記事

  1. 義父の容一にニヤリと笑われて、章子は耳まで真っ赤にした。

  2. 正客への茶を点て終って、恵理子はいま、次の客への茶を点て終っていた。

  3. 「ここの中華料理はうまいね。実はこの前の日曜日、うちに客があってね。中華料理の手づくりをご馳走したんだ。それが意外とうまくてね。お前たちに食べさせてやりたいと思ったもんだから……」 「どなたがおつくりになったの」

  4. 「大変な人ねえ」 扶代が楽しげにいった。

  5. 「ご機嫌いかがですかな、香也子嬢」

  6. 「どうした。コーヒーを飲まないのかい」