「ね、お兄さん、わたしにもキスをして」
「えっ?」
金井は思わず口からタバコを離した。
「章子さんには恋人のキス、わたしには妹のキス」
香也子はニッコリと笑った。ひどく愛らしい笑顔だった。目がキラキラと輝いている。
「困ったお嬢さんだなあ、君は。君はねえ、いままでそうやって、いろんな人にキスをしてもらったの」
金井は皮肉な語調でいった。
「まあひどい! わたし、キスなんか、まだ一度もされたことないわよ。わたし、お兄さんだからしてほしいのよ。きょうだいのしるしに」
「香也子さんねえ、君にもし好きな人ができた時、その時に、とにかく生まれてはじめてのキスを受けたらいいよ」
金井はタバコを灰受けに入れ、ハンドルに手をおいた。その手を、
「待って」
と、香也子はおさえた。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 四」