この道はめったに車は通らない。景色はいいが、あまり人に知られていない道なのだ。 「わたしねえ、こんな静かなところが好きなの」

この道はめったに車は通らない。景色はいいが、あまり人に知られていない道なのだ。
「わたしねえ、こんな静かなところが好きなの」
さらに香也子の体が、金井によりかかった。
「香也子さん、もう少し離れてくださいよ」
「あら、どうして?」
香也子は目を見張って、金井を見た。
「どうしてって、運転ができませんからね」
「あら、だって、いま、車はとまってるじゃないの」
「それはそうですけれどねえ。しかし……」
「ねえ、お兄さん。お兄さんはもう章子さんとキスをしたの」
「…………」
黙って金井は、ポケットからタバコを出した。
「やっぱりなさったのねえ。いいわね、章子さん」
金井はタバコに火をつけて、雨にぬれた道端の笹の葉に目をやった。

三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 四」

『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

関連記事

  1. 車はいつのまにか、高砂台から観音台につづく、馬の背に似た丘の尾根を走っていた。

  2. それは、数日前、従兄の小山田整から、恵理子のうわさを聞いていたからだ。

  3. 恵理子が柄杓を釜にいれた時、青年がいった。

  4. 行く手の畔に立つ数本のイタリヤポプラを見た。

  5. あの時よりいちだんと娘らしくなった恵理子が、顔をうつむけて茶を点てている。

  6. 容一がそういったとき、幼い頃、散歩に手を引いてくれた父の手の感触が、ふっと思い出された。