車は火山灰地の白い丘の上を走って行く。 「ねえ、金井さん。いや、今日からお兄さんと呼ぼうかしら。いい? お兄さんと呼んでも」

車は火山灰地の白い丘の上を走って行く。
「ねえ、金井さん。いや、今日からお兄さんと呼ぼうかしら。いい? お兄さんと呼んでも」
「いいですよ」
金井はくすぐったい顔をした。
「わあ、うれしい。ね、お兄さん。内地はいまごろ梅雨ですってね。北海道は梅雨がなくっていいわねえ」
今日の雨は、梅雨のような感じだが、どうせ明日になれば、からりと晴れる雨なのだ。
「香也子さんは雨が嫌い?」
「あら、わたしがお兄さんと呼ぶんですもの。香也子って呼んでよ」
「香也子? それはどうもねえ。ぼくは女の人を呼び捨てにしたことがないんで……」
「でも、章子さんと結婚したら、章子って呼ぶんでしょう」
語尾が鼻にかかる。金井はちらりと横目で香也子を見、
「呼ぶかもしれません」
うっかり呼び捨てにするといえばこのわがまま娘は、自分をも呼び捨てにせよと迫るにちがいない。
「じゃ、仕方がないわ、香也子さんでも。でもいやだなあ、さんづけなんて、水臭くて」
「雨の日は嫌いですか、香也子さん」
「ううん、そうでもないの。じゃんじゃん雨が降って、この高砂台なんか、押し流されればいいと思うことがあるわ」
「こわいんだなあ、君は」
「あら、そうかしら。お兄さんは、雨降りは嫌い?」
「ぼくは、どちらかといえば晴れた日が好きですよ。車が汚れなくて助かりますからね」
「あーら」
香也子は顔をあげて笑った。が、次の瞬間、前よりももっと深く、金井の肩に頭をのせていた。

三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 三」

『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

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