その時、階段に静かに足音がして恵理子が茶の間にはいってきた。 「あら、もう三時? おばあちゃんお帰りなさい」

その時、階段に静かに足音がして恵理子が茶の間にはいってきた。
「あら、もう三時? おばあちゃんお帰りなさい」
恵理子は畳にすわる。たたみ終わったツネのきものをタンスにいれながら保子がいう。
「ねえ、恵理子、お前香也子をどう思った?」
「どうって?」
突き刺すような激しい視線を自分に向けていた香也子を、恵理子は思い浮かべる。
「あの子はやっぱり、懐かしがってきたんだろうね」
「そりゃあそうでしょう」
懐かしがってくる以外に、どんな気持ちでくるだろう、と恵理子は思う。くるにはきたが、その自分の感情をどう表現してよいか、香也子は戸惑っていたのだと恵理子は思う。

三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 二」

『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

関連記事

  1. 香也子は椅子ごと、ぐいと扶代と章子のほうを向いた。

  2. 恵理子が柄杓を釜にいれた時、青年がいった。

  3. 菊天で容一に会った時、容一は保子の指に指輪のないのを見ていった。 「買ってやろうか」

  4. 容一がそういったとき、幼い頃、散歩に手を引いてくれた父の手の感触が、ふっと思い出された。

  5. 曇った空の下に、郭公の声がしきりにする。 もう十時だというのに、香也子はネグリジェのまま、一時間も前から三面鏡に向かって化粧していた。

  6. 「そんなこといったって……」 「ね、お兄さん。わたし、結婚してもらわなくてもいいの。ただ一度だけ、キスをしてほしいの。ただ、それだけなの」