「旭山の桜は、もうすっかり散ったでしょうね」
「何をいっているんだよ。一週間も前に散ったんじゃないのかい」
保子は、何とか香也子のことをいいだそうとして、旭山の桜をもちだしたのだ。
「ね、お母さん。あの時香也子は、ほんとはわたしたちに会いたかったのじゃないかしら」
今度はさらりといえた。
「香也子? さあねえ。あの時の態度じゃ、恋しがってるとも見えなかったがねえ」
「いいえ、恋しかったのよ、あの子。でも、あの子だって立場上、素直に恋しいとはいえなかったのよ」
「そうかねえ」
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 二」