出稽古から帰ってきたツネのきものを、保子はたたみながら、
「ねえ、お母さん」
と、顔を向けずにいう。
この幾日か、保子はいいだす機会を狙っていた。下手にいいだしてはツネの機嫌をそこなう。ツネはふだん話のわかるほうだが、こと橋宮容一に対しては、かたくななほどにきびしい。
「なんだね。あ、これ島崎さんで、またいただいてきたよ」
きものを着替えて、文机の上においた小さな風呂敷包をあごで示す。その傍に、長谷川一夫のブロマイドがニッコリと笑っている。
「なんでしょう?」
「筋子だよ」
「まあ、いつもお高いものを……」
「あの奥さんは、気前がいいんだよ」
保子はビニール袋にはいった筋子を冷蔵庫にいれながら、話の腰を折られたような気がした。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 二」