「ねえ、お父さん。わたしも勤めたいわ」
「勤める?」
容一の眉間にたてじわが寄る。
「だって、ピアノ習ってるだけじゃつまらないもの」
「じゃ、料理でも習えばいい」
容一はこの、手に負えないわがままな香也子がかわいい。勤めに出す気はしないのだ。
「だって、章子さんは勤めさせたじゃない?」
今年の三月まで、章子は会計事務所に勤めていた。が、三月で辞めたのは、英語塾の金井政夫との仲が、急速に進んだためである。章子は、いま、せっせと料理学校に通っている。
三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 一」