クレンジングクリームをガーゼでぬぐい、化粧水をふくませた脱脂綿でごしごし拭いている時、ドアをノックする音が聞こえた。

クレンジングクリームをガーゼでぬぐい、化粧水をふくませた脱脂綿でごしごし拭いている時、ドアをノックする音が聞こえた。たちまち香也子の眉がぴりりと上がった。
「誰?」
咎める声だ。化粧を落とした顔を扶代や章子には見せたくないのだ。香也子は、幼い時に聞いた白雪姫の話の中で、もっとも心をうたれたのは、白雪姫のまま母が、鏡に向かって、
「鏡や、鏡や、世界のうちでいちばん美しいのは誰?」
と、尋ねる言葉だった。香也子もそんな思いで、いつも自分の顔を鏡に見ているのだ。他人に素顔を見せるくらいなら死にたいほどなのだ。

三浦綾子『果て遠き丘』「影法師 一」

『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

関連記事

  1. 香也子の、継母を母と呼ばず、そのつれ子の章子を姉と呼ばぬ心情は、単なる継母や義姉への抵抗だけではなかった。

  2. 「旭山の桜は、もうすっかり散ったでしょうね」 「何をいっているんだよ。一週間も前に散ったんじゃないのかい」

  3. 香也子は再び視線を姉の恵理子に戻した。

  4. 助手台に乗っていた祖母のツネが、うしろの保子と恵理子をふり返っていった。

  5. 「まあ、きれい!」 思わず恵理子は声をあげた。

  6. ツネの眉が、けわしく上がっている。恵理子はふっと、わが祖母ながら、芝居に出てくる小意地の悪い奥女中を見る感じがして、ツネから目をそらせた。