ガラシャ夫人の名を、はじめてわたしが聞いたのはいつの頃であったろうか。

ガラシャ夫人の名を、はじめてわたしが聞いたのはいつの頃であったろうか。多分十二、三歳の頃ではなかったかと思う。ガラシャという異国の人名が何か奇異に響き、わたしには無縁の女性のように感じられた。

わたしが夫人に心を惹かれるようになったのは、そのガラシャという名が、実は洗礼名グレーシア(恩寵・神の恵みの意)であること、夫人の父親があの三日天下明智光秀(あけちみつひで)であることを知ってからである。
細川ガラシャについて詳しくは知らなくても、ガラシャが美貌と才気、そして熱烈な信仰を持ち、壮烈な最期をとげた女性であることを知っている人は多いであろう。逆臣の名を日本史上に残した明智光秀と、このガラシャとのかかわりは、普通の親子以上の深いものがあったのではないかと思う。

戦前に育ったわたしが、学校の歴史で教えられた明智光秀は、主君織田信長に反逆した稀に見る悪臣であった。三日天下は彼に対する蔑称嘲称である。この言葉から受けるものは、光秀という人間が、如何にも思慮分別のない愚か者といった印象である。
が、敗戦によって、わたしたちは自分の学んだ歴史に多くの不信を抱くようになった。戦争中の教科書が、余りにも天皇中心に編さんされ、歪められたものであったことを知ったからである。歴史上逆臣といわれた者が、必ずしもそうでないばかりか、真の勇者であり、反骨の士であったことも知ったのだ。

この度、ガラシャ夫人の一生を書こうとして、わたしは先ずその父光秀について調べた。親は多く子を語るものだからである。

信長を本能寺に倒した光秀は、秀吉に追われて逃げる途中、農民に殺されたというのは一般の歴史書の記すところである。にもかかわらず、徳川家康が帰依し、親交の厚かった名僧天海(てんかい)大僧正(後に慈眼大師号を諡(おく)られた)は光秀であったという説が、今もって伝えられている。天海大僧正の前身が判然としないというだけで、それが即ち光秀だと伝えられるのは、当時の人々の心のなかに、光秀の最期を農民に殺されたままにしてはおけない、敬慕の思いがあったからではないだろうか。

光秀は砲術、築城の第一人者であると同時に平生、茶道、短歌、俳句、花にも長じた教養人で、静かな人であったという。本能寺の乱の直後、信長には見られなかった人民を重んずる法制をいち早く敷いた。この光秀に、京都の人々はみな名君現ると拍手を以て迎えたという記録もある。

この光秀を農民が団結してかくまい、他の臣の首をあげて光秀と偽るということは、あり得たような気もする。また、信長の叡山焼打ちの事件の際、光秀はひそかに僧たちをあわれみ、情けをかけていた。その恩義に感じた僧たちが、光秀をかくまったともいわれている。

更に一説には、千利休の前身が、天海大僧正同様つまびらかでないため、利休は明智光秀であったともいわれている。秀吉が後に、利休を光秀と見破り、切腹させてしまったというのである。

以上二説、虚か実かはともかく、当時の人々がいかに光秀を惜しんでいたかが、うかがわれるのではないだろうか。なぜこのように光秀が惜しまれたのか。それは恐らく、光秀の信長に対する反逆が、単なる反逆ではなかったからにちがいない。

事実光秀は、信長のためにその義母を殺されている。また信長は、徳川家康に対する饗応の役を突如変更して、光秀の面目を失わしめた。が、これ以外に更に重大な理由があったといわれる。それは、信長の胸中に、光秀をだまし打ちにしようとする計略があったという説である。いわば光秀の行動は、反逆ではなくて正当防衛であったというのだ。こうして、人々は光秀を惜しむあまり、天海大僧正や利休を光秀ののちの姿と信じたかったのではないだろうか。

事情はともあれ、名僧天海大僧正、名茶人千利休に光秀の面影を見たのは、光秀が並々ならぬ人物であったことを物語っているといえよう。

玉子(ガラシャ)には、この光秀の教養と反骨が確かに豊かに流れていた。その光秀の娘として生まれたが故に、彼女の三十八年間の生涯は、実に波乱に富んだ悲劇的なものとなった。

彼女の一生は、今なお多くの人を感動させ、既に小説に戯曲に伝記にと、多くの書が著されているが、わたしもまたわたしの視点に立って、今の時代に生きる自分の問題として、書きつづってみたいと思う。

三浦綾子『細川ガラシャ夫人』まえがき

『細川ガラシャ夫人』新潮文庫

『細川ガラシャ夫人』(上)小学館電子全集

『細川ガラシャ夫人』(下)小学館電子全集

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