「手があがったかね」コップにビールを注いでやりながら、容一がいう。

「手があがったかね」
コップにビールを注いでやりながら、容一がいう。泡が白く盛りあがった。
「同じよ。せいぜい一本よ」
保子も容一のコップに注ぐ。
「ま、お互いに元気でよかった」
ちょっとコップをあげて容一がいい、保子もコップをあげた。
「何で別れたのかね、わたしたちは」
「決まってるじゃありませんか。あなたに好きな人ができたからよ」
「好きな?」
好きという言葉が、容一には的確とは思えなかった。関係ができたからといって、直ちに好きといわれることは、甚だしい飛躍に思われた。

三浦綾子『果て遠き丘』「春の日 十」
『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

関連記事

  1. 「式のことだがねえ、金井君」 そんないきさつを知る筈もなく、容一がいった。

  2. 「だからいったことじゃないか。第一だよ、わしに女ができたからって……そりゃ女をつくることは悪いよ。悪いがねえ、保子、俺だって男だからね。たまにはほかの女にも手を出すさ」

  3. 神社の下の大きな桜の木の下に、赤い毛氈が敷かれ、野点が催されていた。

  4. 物語を〈聴く〉という、発見  田中綾

  5. 恵理子の立つ、川一つ隔てたこの道には、

  6. 「ハ、ぼくは章子さんのいいように」 と、金井は容一のほうに頭をさげた。その金井に香也子が何かいおうとした時、整がいった。