襖があいた。ふとったおかみが、 「社長さん、焼けぼっくいに火ですか」 と、銚子をテーブルに置いた。

襖があいた。ふとったおかみが、
「社長さん、焼けぼっくいに火ですか」
と、銚子をテーブルに置いた。
「それならうれしいがね」
容一は盃を出す。
「ほんとうにねえ、何でお二人が別れたのか、はた目も羨むっていうのは、社長さんたちのことだと思いましたがねえ」
「わたしだって、そう思っていたさ。まさかあいつと別れようとはな」
と、一息に飲み、盃をおかみに手渡す。
「おばあちゃんが、自分のご主人の女道楽にこりごりしてるって、おっしゃいましたっけねえ」
「それだよ。そりゃあ、扶代に手を出した俺は悪いよ。悪いけど、いきなり一刀両断のもとに斬られたって感じだったな」
おかみはつつじの花の活けられた床の間を見、きれいに拭き清められた部屋を点検するように見回して、
「でも社長さん、いまの奥さんだって、いい奥さんじゃありませんか。よりを戻しちゃ、いまの奥さんがかわいそうですよ」
「よりを戻してくれるような、保子じゃないよ。どうせ、ごたごたと、何か文句があるんだろうよ」
あの茶席で、香也子が何かをしでかしたにちがいないと、容一は覚悟をしている。でもなければ、別れてから十年も経って、急に電話をかけてくる筈がない。
「むこうのお嬢さんも、きれいになられたでしょう。小さい時からかわいかった」
「ああ、いい娘になった。ちょっとしたもんだ」
容一は遠慮なく自慢した。
「でも、ごきょうだいが、離ればなれになって、ちょっとかわいそうねえ」
そういった時、襖の外で、
「おつれさんがおみえになりました」
という声がした。

三浦綾子『果て遠き丘』「春の日 九」
『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

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