橋宮容一は、小料理屋菊天の一室に保子を待っていた。

橋宮容一は、小料理屋菊天の一室に保子を待っていた。
保子から、思いがけなく電話がきたのは、五日ほど前のことだ。旭山に桜を見に行った翌日だった。
「藤戸さんという女の方からです」
と、秘書の笹ハマ子が電話を取り次いだ時、容一はてっきり、娘の恵理子からだと胸がとどろいた。用事のある時はいつでも電話をかけるように、恵理子に言ったのは、もう五年も前の、恵理子の高校卒業の時であった。恵理子は素直にうなずいたが、以来一度も電話をかけてきたことがない。
恵理子だと思って受話器を取ると、
「もしもし、お久しぶりね」
と、思いがけない保子の声を聞いた。

三浦綾子『果て遠き丘』「春の日 九」
『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

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  1. ツネの眉が、けわしく上がっている。恵理子はふっと、わが祖母ながら、芝居に出てくる小意地の悪い奥女中を見る感じがして、ツネから目をそらせた。

  2. 恵理子は器用に、スーツの裾をまつっていく。驚くほどの早さであり、驚くほどのうまさである。グリーンのこのスーツの主は、高校時代の友人だ。

  3. むろん、いまの妻扶代の、善意でのびやかな性格もいい。

  4. ふっと恵理子は時計を見た。もう十二時半だ。川向こうを見る。やはり青年はきていない。と、その時、「恵理子、お電話よ」 と呼ぶ、母の保子の声がした。

  5. 客が帰ったあと、母はその客のさわったとおぼしきものいっさいの消毒をする。

  6. 香也子は椅子ごと、ぐいと扶代と章子のほうを向いた。