正客への茶を点て終って、恵理子はいま、次の客への茶を点て終っていた。

正客への茶を点て終って、恵理子はいま、次の客への茶を点て終っていた。恵理子は動揺していた。まだ名も知らぬあの青年が、わざわざ茶会にきてくれた。恵理子はいい難いときめきのうちに、茶筅を軽く動かしている。泡立った薄茶を恵理子は差し出し、静かに一礼した。そしてその目を香也子にあてた。
はっと、恵理子の姿勢が崩れた。思わず片手をつき、あわてて膝に手を置いた。
「ちょうだいいたします」
恵理子の驚きを、香也子は満足げに見て茶碗を両手に持った。折から風が吹き、桜の花びらが緋毛氈の上に散った。

三浦綾子『果て遠き丘』「春の日 七」
『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

関連記事

  1. 「ああ、お父さんだ」 のんびりとした容一の声がした。

  2. 「少し白髪が……」と、保子はやさしく容一を眺めた。

  3. 十二畳の居間に、母の保子はテレビを見ていた。

  4. 近づいてきた金井は、小さくクラクションを鳴らした。驚いたように香也子は目を見張り、車から顔を出した金井政夫をみつめた。

  5. 「その、なんだ。敵がいるんだよ、敵が」 「てきですって?」

  6. 客が帰ったあと、母はその客のさわったとおぼしきものいっさいの消毒をする。