正客への茶を点て終って、恵理子はいま、次の客への茶を点て終っていた。

正客への茶を点て終って、恵理子はいま、次の客への茶を点て終っていた。恵理子は動揺していた。まだ名も知らぬあの青年が、わざわざ茶会にきてくれた。恵理子はいい難いときめきのうちに、茶筅を軽く動かしている。泡立った薄茶を恵理子は差し出し、静かに一礼した。そしてその目を香也子にあてた。
はっと、恵理子の姿勢が崩れた。思わず片手をつき、あわてて膝に手を置いた。
「ちょうだいいたします」
恵理子の驚きを、香也子は満足げに見て茶碗を両手に持った。折から風が吹き、桜の花びらが緋毛氈の上に散った。

三浦綾子『果て遠き丘』「春の日 七」
『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

関連記事

  1. 「大変な人ねえ」 扶代が楽しげにいった。

  2. いつも家の中で洋裁をするか、祖母のお茶の稽古の手伝いをするだけの恵理子の生活は、ほとんど異性に接する機会のない生活だった。

  3. 西に広がる旭川は、数えるほどしかビルのない平たい街だ。

  4. 襖があいた。ふとったおかみが、 「社長さん、焼けぼっくいに火ですか」 と、銚子をテーブルに置いた。

  5. 香也子は椅子ごと、ぐいと扶代と章子のほうを向いた。

  6. 幾折れもの道が木立をぬって頂上へとつづいている。