扶代と章子の手を引いて、あわてて逃げ出す容一を、 「お父さん!」 と呼んだ香也子の声は、かん高かった。

扶代と章子の手を引いて、あわてて逃げ出す容一を、
「お父さん!」
と呼んだ香也子の声は、かん高かった。
野点の席を囲んで、ひそやかに言葉をかわしている人たちにとって、それは異様なほどだった。みんなの視線が香也子に注がれた。桜の木陰に控えていたツネも、保子も、腰を浮かして声の主を見た。途端に、保子の顔がさっとこわばった。ひと目で、保子はそれがわが子の香也子であることを知ったのだ。

三浦綾子『果て遠き丘』「春の日 七」
『果て遠き丘』小学館電子全集

オーディオライブラリー『果て遠き丘』朗読:七瀬真結

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  1. 西に行けば、道は下って三百メートルほどむこうの柏林に突きあたる。香也子は東にむかって歩いて行く。道端のチモシーが雨にぬれて光っているのが目をひく。角の家の藤がいま盛りで、小さな紫の滝のようだ。

  2. ジンギスカン鍋をつついている者、輪になって歌をうたっている者、桜の花の下には、何十組とも知れぬ人の群があった。

  3. 「わたし、香也子です。よろしく」

  4. テレビの中では、若い女性が海べに立って、去って行く男の姿を見つめている。

  5. じっと恵理子を見つめている香也子の姿を、ツネと保子が息を殺して眺めている。

  6. つんとする香也子に、容一はいった。