香也子は父の手をふり払って、ふくさをつけている和服姿の中年の女にいった。
「あの、わたしもお席にすわらせていただいても、いいでしょうか」
「どうぞ、どうぞ。もうこの方たちがお立ちになりますから、こちらでお待ちくださいませ」
香也子の前に、青年が一人立っていた。背の高い青年だった。青年が微笑を浮かべて、恵理子のほうを見つめていた。香也子は父のほうをふり返った。父は扶代と章子の手を引っ張るようにして、群から離れて行くところだった。
「お父さん」
香也子は無邪気に呼んだ。
三浦綾子『果て遠き丘』「春の日 六」
『果て遠き丘』小学館電子全集