企画展こぼれ話7 作家を育てる編集部

この企画展のテーマは「明智光秀の娘・玉子の『道ありき』」であり、「玉子と綾子、二人の道は似ている?」なのですが、裏のテーマがあるとすれば「綾子は作家を育てる編集部と出逢った」ということです。

展示で紹介している貴重な写真は、どれも綾子のいい表情を捉えていて、編集部がカメラマンを同行して旭川の綾子を訪ねただけでなく、大阪や熊本などの取材旅行にも同行したことがわかります。歴史小説が初めての綾子のために取材旅行の日程を組んでくれただけでなく、編集長と担当編集者さらにカメラマンが同行するわけですから、作家・三浦綾子への期待は並々ならぬものだったと感じますし、駆け出し10年の作家を育てる気持ちが豊かにあったのだと思います。これは主婦の友社に限ったことではなく、他の出版社の方も同じでした。今までの企画展や現在の1階常設展にも、取材旅行などに雑誌編集者とカメラマンが同行してくださったおかげで記録されている写真がいくつもあります。

今回の展示パネルで編集長藤田さんへの電話インタビューを「創作秘話」として紹介しました。パネルには紹介しきれなかったのですが、藤田さんに「綾子さん、光世さんのことで一番印象深いことは」と尋ねると、「豊岡のご自宅を訪ねて帰るとき、お二人はいつも車が見えなくなるまで見送ってくださっていました。綾子さんが亡くなられた後に訪ねた時は、光世さんが一人で見送ってくださいました。その時にもう綾子さんはいないんだなあと思って涙がこぼれたことを今でも思っています」と話してくださいました。

展示ケースの一番最後には綾子を支え続けた主婦の友社の編集長藤田さんと担当編集者渡辺さんの当時を振り返る文章(三浦綾子作品集に収録)と共に、社長石川数雄氏からの手紙を展示しています。この手紙は1971年。綾子・光世が三浦商店を営んでいた店舗兼自宅から同じ豊岡の今の三浦家に引っ越した年です。実はこの引越祝いに石川氏はラジオを贈り、そのお礼に綾子はジャガイモを贈ったのでそのお礼の手紙です。この頃、綾子は『道ありき』三部作の『光あるうちに』を「主婦の友」に連載していました。石川氏から「今度はガラシャの道ありきを書いてください」と言われるのはこの手紙の後なのです。そして翌1972年11月には1回目の取材旅行、1973年1月から『細川ガラシャ夫人』の連載が始まるのです。