企画展こぼれ話3 綾子も驚いた明智光秀という人

先日、札幌から学校の宿泊学習で来てくださった生徒さんに、「玉子さんは本能寺の変のことや、どうしてこれを光秀が起こしたのか、知っていたのですか?」と聞かれました。
『細川ガラシャ夫人』の描写に基づいてお答えすると、「本能寺の変のことは細川家にもたらされた情報で知っていた」、光秀の思いについては「もたらされる情報で推測した」のだと言えるでしょう。
細川家は情報収集にとても長けており、物語には早足で知られる早田道鬼斎(はやたどうきさい)という人が登場します。彼は細川家の家臣の家人で、いち早く情報を細川家に伝えたのです。それは光秀からの知らせが来るよりも先でした。
玉子は夫・忠興からそのことを知ります。どのような思いで父の謀反を聞いたのでしょうか。また、夫のもとどりを切った姿から、彼女は細川家が光秀を応援しない立場であることも知ってしまうのです。彼女は以前にもたらされていた父の身に起こったこと(信長の光秀への仕打ち)を思い起こします。「わたしが男の子ならば、かなわぬまでもお味方をするものを」という彼女の思いは、読んでいると胸が痛くなります。
質問をしてくださった生徒さんにはこのことをかいつまんで伝えたところ、歴史が好きだという彼はその後も熱心に尋ねてくださいました。ありがとうございます!お役に立てたのであればよいのですが……。

展示をご覧になった方に「明智光秀がこんな人だったとは知らなかったなあ。読んでみるかなあ。」と言われることがあります。
綾子が資料調べをする中で「書いてみよう」という意欲が湧いてきたのが光秀のエピソードでした。綾子は終戦後に「教科書の墨塗り」という苦い体験をしたことがきっかけで、自分が学校で受けた教育に対しては疑問を持っていました。それはわずか数行で終わらされる光秀のことについても同じでした。最初に調べようと思ったのも光秀のことで、綾子はその理由を「親は多く子を語るものだから」と『細川ガラシャ夫人』の最初に記しています。この綾子の考えは初期の『塩狩峠』で、幼い主人公と父母のエピソードから細やかに描くことに始まり、多くの小説で家族に焦点を当てていることにも現れているでしょう。教師をしていた綾子だからこそ、よりそう考えるようになったのでしょうか。
展示では『細川ガラシャ夫人』参考文献の高柳光寿著『明智光秀』にたくさん引いてある赤線の一部分や、創作ノートに書き留めた「光秀語録」などもご紹介しています。これは物語の中で光秀の考えの基盤になっているもので、そう思って本を読み返すとまた違った味わいがあるのです。
また解説パネルでは、光秀の結婚、本能寺の変、幼い玉子を厳しく諭した言葉などエピソードのほんの一部をご紹介しています。展示をご覧になった後に、綾子が綴る物語で続きを味わって頂けたら幸いです。