企画展こぼれ話6 夫・細川忠興の繊細な一面

(写真:長岡京市・勝竜城公園本丸内にある、細川忠興・ガラシャの銅像)

玉子と細川忠興は、織田信長の命により16歳で結婚します。先日開催した上出恵子先生の文学講座で「綾子さんは歴史上の人物を実に大胆に描く」というお話がありましたが、忠興も玉子と初対面の7歳のシーンから生き生きと描かれています。武勇に秀でて信長にも気に入られていた凛々しい若者が、玉子の美しさに惹かれ弟と話す場面では意外に16歳らしい初々しさが描かれ親しみを覚えます。二人が結婚した当初は戦さ続きでしたが、忠興はその合間を縫って玉子のために手作りの百人一首かるたを作り玉子に贈りました。玉子が一枚一枚を手に取る描写は目に浮かぶようで印象的です。この「丹後の海」の章のラストには「この忠興手づくりの百人一首は、現在も細川家に伝えられて数枚が残っている」とあり、私はこれが実在するのかどうか一ファンとしてずっと気になっていました。綾子はそのかるたのことを取材して、創作ノートに「扇形」の画や「金箔を貼ってある」ことを記しています。

『細川ガラシャ夫人』が出版された後、1982年1月に東京・三越で「愛と信仰に生きた細川ガラシャ展」が開催されました。写真資料を調べると会場では綾子のサイン会も開催され大盛況だったようです。その当時の私はまだ三浦文学を知らず、東京から遠く離れた宮崎にいましたが、会場に足を運ばれてゆかりの品々をご覧になった方も多くいらっしゃることと思います。

今回の展示パネルを製作するにあたり、2015年に熊本県立美術館で細川コレクション展が開催されていたことを思い出しホームページを確認すると、「細川三斎筆 扇面歌留多」(「細川三斎」とは茶人である忠興のこと)と写真で紹介されていました。綾子の文章ではなぜか「数枚」と記されていたので気になって、「これって物語にも登場する忠興が作ったというあの歌留多のことですよね」と細川家のコレクションを保管されている永青文庫(東京)さんに問い合わせたところ、丁寧に教えてくださり、「戦国時代の結婚」というパネルでコメントを紹介させて頂くことができました。貴重資料のため実物をお借りすることは難しく実現できませんでしたが、いつの日かまた永青文庫で一般公開される時があることをひそかに願っています。

企画展こぼれ話5 綾子の創作ノート

展示を企画する中で最初に読み、中身を組み立てていく過程で何度も開く資料が綾子の創作ノートです。2年前、初めて綾子の創作ノートを手にとった時は、一ファンとして読んでみたいものの、「第三者に見せるものとして書いていないのに、こうして私などが読んでよいのか」と葛藤がありましたが、「三浦文学を多くの人に伝えたい」という思いで、手がかりのノートを残してくれた綾子に深く感謝して読んでいます。

作家が小説を書くまではいろいろなスタイルがあると思いますが、綾子の場合は次のような流れで書くことが多いようです。
1. 雑誌や新聞の連載依頼
2. 題材を決める(あるいは『細川ガラシャ夫人』のように題材も依頼される)
3. 資料調べ・現地取材(創作ノート)
4. 3と平行しながら創作ノートに調べたこと、人物設定、書き出しの文章などを綴る
5. 4と平行しつつ下書き原稿を執筆
6. 三浦光世との口述筆記を行い、編集部へ提出する原稿を執筆、最終稿へ

つまり創作ノートは執筆の裏側がわかり、綾子の作品への思いがたくさん詰まっているのです。
ノートには、彼女の自由で大胆な性格がそのまま表れているように感じます。たとえば順番に綴られているかと思えば、後ろから書き始めていたり、表紙に「取材ノート」と書かれていても、取材以外のことも書いていたりとまさに「書き散らし」の状態。赤ペンや二重丸を多く用いているのも特徴で、おもしろく感じます。またほとんどのノートの表紙に「三浦綾子」と名前を書き、中には住所まで記してあるものもあるので綾子の性格が垣間見えます。
今回は初めての歴史小説ということもあり、歴史上の登場人物について調べたことを秘書の方に年表としてまとめてもらい、綾子が赤字で書き込みをしているものもありました。また、現地で取材したと思われる日付とその見た様子が絵として描かれていたり、ノートの表紙に「華麗豪しゃなる大阪の城」などその取材した時の印象が書かれていたり、取材中の日曜日に出席した教会でのメッセージを書き留めていたりと、創作ノートのページをめくると綾子の様子が浮かんできます。
残念ながら解読が難しい部分もあるのですが、「ここはお見せたい」というところはなるべく展示するようにしています。
作家の資料というのは当たり前ですが文字だらけ。研究の面から見るととてもおもしろいのですが、展示するとなるとバランスが悪く、ご覧になる方は疲れてしまいます。創作ノートのあれもこれも展示したいと、最初はたくさん拡大コピーをしてみるのですが、バランスを考えてやむなく数点を外すことに……。
パネルは展示の企画意図を盛り込みながら物語の内容を紹介し、写真を多く用いて構成しました。展示ケースは「物語はどのように生まれるか」「取材や執筆を支える編集部の存在」を中心に紹介しています。絵画や彫刻のようにビジュアルで「おっ」と驚くものではないかもしれませんが、綾子の言葉が生まれた背景に少しでも触れて頂けたらと思うのです。

企画展こぼれ話4 綾子が取材した教会

今回の展示は主婦の友社から頂いた写真を多く紹介しています。初めての歴史小説で取材もどうしたらよいかわからなかった綾子に、雑誌「主婦の友」編集部は取材旅行をお膳立てしてくださいました。取材旅行には2回ともカメラマンの武井武彦氏が同行されたのです。彼の写真は連載中にも「主婦の友」に掲載され、読者により「綾子の今」を伝えていました。
武井氏はずっと同行されていたからか、綾子の思案にふける表情やユニークな表情をたくさん捉えてくださっていて、「この表情を浮かべたあと、創作ノートのこのページを書いていたのではないか」と連想してしまう写真がいくつもありました。これは私が見ているだけではもったいないと感じて、パネルに掲載することにしたのです。
パネルの最初と最後は、大阪カテドラル聖マリア大聖堂で取材した時の写真を選びました。
この教会は、物語で玉子が侍女に身をやつして行った教会ではなく、細川家の跡地に建った教会です。ちなみに玉子が一度だけ訪れた教会は、残されている史料の方角等から考えると現在の北大江公園です。
1894年、大阪・玉造の地に聖アグネス聖堂が建てられました。その聖堂は戦災によって焼失しまたが、その後、仮聖堂を経て、ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、1963年3月に、現司教座聖堂「聖マリア大聖堂」へと生まれ変わりました。その時に細川家の屋敷跡に建っていることを伝えていこうと、故堂本印象画伯によりガラシャが描かれ、大聖堂前広場の両端にはカトリック信徒の彫刻家・阿部政義氏によるガラシャの石像があり、ホームページにはこの教会の近くに越中井(細川家の台所があったとされる場所で使用していた井戸の跡)があることも掲載されています。
1972年11月4日、綾子はこの教会に入り天井を見上げました。そしてまた、取材ノートに教会内部の様子や訪れる人の様子をつぶさに記し、壁画のガラシャを見ながらその絵を描いていました。展示ケースでは、綾子が書いたノートの拡大コピーを武井氏が撮影した教会内部正面の写真と共に紹介しています。
綾子はもちろん、この教会の前後に越中井も訪ねています。
教会も越中井も大阪・森ノ宮駅から10分くらいのところにあります。私は以前、仕事でよく大阪に出張していた頃に玉子の足跡を辿るべく何度か訪ねました。今は穏やかな住宅地ですが400年前は炎に包まれたのだと思うと静かな感動があります。お近くに行かれる際はぜひお立ち寄りください。

三浦綾子作品「書き出し文庫」がスタート!

「書き出し文庫」とは?

 三浦綾子の作品を、〝書き出し〟でご紹介する読み物です。ダウンロードは、以下のリンクからどうぞ。

(PDFファイル)書き出し文庫(20170702)

 気になる本が見つかりましたら、ぜひ続きを手に入れてお読みください。タイトル毎に、出版社の紹介ページへのリンクを掲載していますので、そちらからご購入になれます。紙の本でも、電子書籍でも、お好きなスタイルでお楽しみくださいませ。物語との素敵な出会いがありますように。

三浦綾子記念文学館(北海道旭川市)

夏休みの自由研究にお使いください。「自由研究用まとめノート」ができました。

「自由研究用まとめノート」表紙
「自由研究用まとめノート」表紙

夏休みや冬休みの自由研究などにお使いいただける、「自由研究用まとめノート」を作りました。小学校高学年以上の方が対象です。

これ1冊で、出来上がり。調べて書き込んで、写真を貼って、綴じるだけ。調べ学習にぴったりです。夏休みは、文学館で宿題を済ませませんか?

基本タイプは、目次もページ番号もついていて、書き込んで、写真や絵を貼ればそのまま完成で、提出できます。

ページ番号なしのタイプは、組み合わせが自由にできるように、ページ番号がついていません。目次も、自由に書き込めるようになっています。

文学館においでいただければ、1時間半ほどでほとんど出来上がりますので、ぜひ選択肢にお加えください。お待ちしております。※おいでになる際にはお電話やSNSなどでお知らせくださると助かります。

また、「三浦綾子を知るワークブック」と組み合わせれば、ご自宅や教室でも調べ学習ができますので、ご活用ください。

なお、7月29日(土)に文学館で、このプリントを使った自由研究の行事を開催予定です。後日、あらためてご案内いたします。

プリントは、以下のリンクからダウンロードできます。

(PDFファイル)「自由研究用まとめノート」(基本タイプ)

(PDFファイル)「自由研究用まとめノート」(組み合わせ自由・ページ番号なし)

※片面印刷・左綴じです。ホッチキスで留める線と、中央の目印も付けてあります。

このプリントは(ワークブックを含む)、学校・教育機関・官公庁・学習塾・ご家庭での使用に限っては、複製自由です(商用および販売不可)。

(難波真実)

企画展こぼれ話3 綾子も驚いた明智光秀という人

先日、札幌から学校の宿泊学習で来てくださった生徒さんに、「玉子さんは本能寺の変のことや、どうしてこれを光秀が起こしたのか、知っていたのですか?」と聞かれました。
『細川ガラシャ夫人』の描写に基づいてお答えすると、「本能寺の変のことは細川家にもたらされた情報で知っていた」、光秀の思いについては「もたらされる情報で推測した」のだと言えるでしょう。
細川家は情報収集にとても長けており、物語には早足で知られる早田道鬼斎(はやたどうきさい)という人が登場します。彼は細川家の家臣の家人で、いち早く情報を細川家に伝えたのです。それは光秀からの知らせが来るよりも先でした。
玉子は夫・忠興からそのことを知ります。どのような思いで父の謀反を聞いたのでしょうか。また、夫のもとどりを切った姿から、彼女は細川家が光秀を応援しない立場であることも知ってしまうのです。彼女は以前にもたらされていた父の身に起こったこと(信長の光秀への仕打ち)を思い起こします。「わたしが男の子ならば、かなわぬまでもお味方をするものを」という彼女の思いは、読んでいると胸が痛くなります。
質問をしてくださった生徒さんにはこのことをかいつまんで伝えたところ、歴史が好きだという彼はその後も熱心に尋ねてくださいました。ありがとうございます!お役に立てたのであればよいのですが……。

展示をご覧になった方に「明智光秀がこんな人だったとは知らなかったなあ。読んでみるかなあ。」と言われることがあります。
綾子が資料調べをする中で「書いてみよう」という意欲が湧いてきたのが光秀のエピソードでした。綾子は終戦後に「教科書の墨塗り」という苦い体験をしたことがきっかけで、自分が学校で受けた教育に対しては疑問を持っていました。それはわずか数行で終わらされる光秀のことについても同じでした。最初に調べようと思ったのも光秀のことで、綾子はその理由を「親は多く子を語るものだから」と『細川ガラシャ夫人』の最初に記しています。この綾子の考えは初期の『塩狩峠』で、幼い主人公と父母のエピソードから細やかに描くことに始まり、多くの小説で家族に焦点を当てていることにも現れているでしょう。教師をしていた綾子だからこそ、よりそう考えるようになったのでしょうか。
展示では『細川ガラシャ夫人』参考文献の高柳光寿著『明智光秀』にたくさん引いてある赤線の一部分や、創作ノートに書き留めた「光秀語録」などもご紹介しています。これは物語の中で光秀の考えの基盤になっているもので、そう思って本を読み返すとまた違った味わいがあるのです。
また解説パネルでは、光秀の結婚、本能寺の変、幼い玉子を厳しく諭した言葉などエピソードのほんの一部をご紹介しています。展示をご覧になった後に、綾子が綴る物語で続きを味わって頂けたら幸いです。

企画展こぼれ話2 細川ガラシャって誰?

展示パネルを読んでいた知人に「玉子」をどうも「たまご」と読んでしまうと言われて思わず吹き出してしまいました。「というかそもそもガラシャって何語なの?」と聞かれてはっとしました。私は高校生の頃に『細川ガラシャ夫人』に出逢い、歴史上の人物として認識していたのですが、たしかにガラシャは織田信長や豊臣秀吉のように教科書でしっかり学ぶわけではありません。「細川ガラシャって誰?」と疑問を持つ方も多くいらっしゃるでしょう。
ガラシャは元の名前を玉子(たまこ)と言います。「ガラシャ」とは洗礼名でラテン語で「恩寵(おんちょう)」「神の恵み」を意味する「gratia(グラツィア)」が由来です。英語の「grace」、スペイン語「gracias」の語源でもあります。

玉子はどんな人生を歩んだのでしょうか。

玉子は両親の愛を一身に受けて育ち、16歳で織田信長の命で細川家に嫁ぎました。当時の当主細川藤孝と父・明智光秀は親友同士でしたから、玉子も政略結婚とはいえ幸せな結婚であったとも言えるでしょう。
ところが、結婚して数年後に光秀が本能寺の変を起こしたことで玉子の運命は大きく変わっていくのです。光秀は天下を取り細川家の援軍を期待していましたが、細川家は「信長の喪に服す」態度を示し、中立を守りました。諸国大名の多くもこれに習い、光秀は孤立します。

一方、中国地方で勢力をふるっていた毛利を攻めていたはずの豊臣秀吉がすぐに姫路へ戻ってきて、光秀はついに追われる立場となるのです。そうすると玉子はどうなるのか。細川家では「明智家に返すべき」「自害させるべき」と論争が起きますが、夫の忠興は玉子を何とか死んだことにしてかくまえないかと懇願し、玉子は味土野(みとの)へ幽閉されるのです。また光秀はほどなく敗死し、玉子は明智一族を失うのです。
その玉子をさらなる苦しみが待ち受けていました。その中で、玉子は次第に「人間にとって本当に大切なものは何か」考え始めますが……。

『細川ガラシャ夫人』をまだ読んだことのない方も、既にご存じの方にもオススメなのが文学館で毎月実施するミニシアター。三浦文学を映像と音楽で楽しんでもらおうと、4月から実施してきましたが、6月は新作目白押し!『泥流地帯』『塩狩峠』を紹介するミニシアターに加えて『細川ガラシャ夫人』が始まります。タイトルは「明智光秀の娘・玉子の願い」。第1回は6月18日(日)14:00~です。内容が気になる方は、この、30分でわかるダイジェスト版(?)を、ぜひ体感してください。

今月のミニシアターラインナップはこちら♪
6月17日(土)11:00 三浦綾子の青春時代 『道ありき』
6月17日(土)14:00 十勝岳を仰ぐ町・復興への軌跡 『泥流地帯』『続泥流地帯』
6月18日(日)11:00 和寒・塩狩峠、愛の物語 『塩狩峠』
6月18日(日)14:00 明智光秀の娘・玉子の「道ありき」 『細川ガラシャ夫人』

三浦綾子を知るワークブックA5版 基本編(青少年向け・大人向け)

b三浦綾子を知るワークブックA5版 基本編(青少年向け)
三浦綾子を知るワークブックA5版 基本編(青少年向け)
三浦綾子を知るワークブックA5版 基本編(大人向け)
三浦綾子を知るワークブックA5版 基本編(大人向け)

昨年10月に掲載しましたワークブックを、A5サイズで使えるように改版したものです。A4の紙に両面印刷し、半分に折ってお使いください。

以下のリンクからダウンロードできます。

(PDFファイル)三浦綾子を知るワークブックA5版 基本編(青少年向け)

(PDFファイル)三浦綾子を知るワークブックA5版 基本編(大人向け)

※両面印刷用に面付けしてありますので、ご注意ください。

左綴じです。ホッチキスで留める線も付けてあります。

(難波真実)

企画展『細川ガラシャ夫人』こぼれ話1 

主婦の友社社長の提案で綾子が執筆した『細川ガラシャ夫人』。これは雑誌「主婦の友」に1973年1月号~1975年5月まで連載されました。初めての歴史小説でなかなか手をつけられない綾子のために、雑誌「主婦の友」編集部の皆様が細川ガラシャについてはもちろんのこと、細川忠興・明智光秀・高山右近など、関わるすべての歴史上の人物やその時代背景のことなど、たくさんの資料を集めて綾子に届けました。

当時の参考資料を見ていると、書籍だけでなく、冊子やコピー資料を丁寧に綴ってくださり、厚紙の表紙に「細川ガラシャ資料」と書かれた資料が何冊もありました。執筆の段階でバラバラになっている資料もありましたが、そこに引かれた赤線を見ると綾子の執筆の過程を見ることができます。

今回の展示にあたり、40年前のことですから無理を承知で主婦の友社にご連絡したところ、当時の担当編集者渡辺節さんはお亡くなりになっていたのですが、当時編集長をされていた藤田敬治さんにインタビューさせて頂くことができました。

この藤田さんは三浦綾子がデビュー前に「林田律子」のペンネームで執筆した「太陽は再び没せず」の頃からお世話になった方でした。これは雑誌「主婦の友」の「愛の記録」という読者向けの応募企画で、綾子の原稿を最初に読んだのが藤田さんでした。結果は見事入選。これこそが自伝小説『道ありき』の前身ともいえる作品なのです。この入選したことが縁で、デビュー二作目の『ひつじが丘』は雑誌「主婦の友」に連載され、藤田さんはその頃から編集長を務めていました。作家として駆け出しの頃の綾子を支えてくださった編集部には、きっと温かな空気があったのでしょう。『細川ガラシャ夫人』の取材旅行は1972年11月と1973年4月の2回行われましたが、編集部で日程を組み、藤田さんや担当の渡辺さん、カメラマンも同行しました。

 

展示ではその藤田さんへの貴重なインタビューをはじめ、藤田さんと渡辺さんが『細川ガラシャ夫人』に寄せて書いてくださった記事(三浦綾子作品集に収録)、書簡、取材旅行の様子などもご紹介しています。

 

『細川ガラシャ夫人』を読みたい方へ

【紙の本を注文する】……『細川ガラシャ夫人(上)』新潮文庫 『細川ガラシャ夫人(下)』新潮文庫

【電子書籍で読む】……『細川ガラシャ夫人(上)』小学館電子全集 『細川ガラシャ夫人(下)』小学館電子全集

企画展『細川ガラシャ夫人』 明智光秀の娘・玉子の「道ありき」

開催にあたって

「今度は三浦さんに、ぜひ細川ガラシャの伝記を書いてほしいのです。いわばガラシャの『道ありき』を書いてください。」

綾子は自伝『道ありき』などでお世話になった、主婦の友社の社長石川数雄氏からこのような言葉を受けた。1972年夏頃から執筆に取り掛かり、大阪・京都・若狭地方・熊本など取材に出向いた。こうして初の歴史小説『細川ガラシャ夫人』は、1973年1月から1975年5月まで雑誌「主婦の友」に連載、1975年に刊行され、現在は新潮文庫で読み継がれている。
「ガラシャ」とは「恩寵」「grace」という意味の洗礼名で、もとの名を玉子という。玉子はかの明智光秀の娘だった。女性が道具として扱われていた時代に、光秀の娘ゆえの悲劇もあった玉子の「人間らしく生きた」生涯に、綾子は深く感動した。
綾子は「わたしもまたわたしの視点に立って、今の時代を生きる自分の問題として書き綴ってみたい」と執筆に取り組んだ。展示では、玉子の歩んだ道が綾子の道と似ていることに注目して紹介していく。
今回の展示にあたり、主婦の友社及び永青文庫の関係者の皆様に多大なご尽力を賜り深く感謝を申し上げる。

主催者

企画展『細川ガラシャ夫人』 明智光秀の娘・玉子の「道ありき」

開催期間

6月1日(木)~10月29日(日)

※開催期間中、6月~9月までは無休、10月は月曜日休館(月曜祝日の場合は翌日)

開館時間

午前9時~午後5時

入館料金

[大人]500円、[大学・高校生]300円、[小・中学生]100円 ※[賛助会員]無料
[団体割引] 10名様以上は50円引
★土曜日は高校・中学・小学生は無料、同伴の保護者2名まで団体料金適用
★旭川市内の小中高校生が授業の一環として利用する場合は無料(事前にFAXかお電話でご連絡ください)
★障害者手帳をご提示いただいた方は無料

 

『細川ガラシャ夫人』を読みたい方へ

【紙の本を注文する】……『細川ガラシャ夫人(上)』新潮文庫 『細川ガラシャ夫人(下)』新潮文庫

【電子書籍で読む】……『細川ガラシャ夫人(上)』小学館電子全集 『細川ガラシャ夫人(下)』小学館電子全集