穴の中を覗いてみてください1

4月6日より、1階常設展示がリニューアルしました。オープニング・セレモニーに駆けつけてくださった皆様、ありがとうございます。
1階の展示室を仕切っていた壁を取り払ったことで、ずいぶんと明るい雰囲気に生まれ変わりました。
第1展示室「三浦綾子の背景に触れる」は、綾子の生涯を木の枝にぶらさがる果実のように記しながら紹介しています。
6つの穴にはその時代にちなんだ何かを展示していますので、ぜひ一つ一つ覗き込んでみてくださいね。どれも手に取れるものばかりです。
その中の一つ、「いちじく」は一見地味に見えますが……

「いちじく」は、綾子と光世の出逢いのアイテムです。光世が脊椎カリエスで寝たきりの堀田綾子のもとに見舞いに訪れたのは、クリスチャンの交流誌「いちじく」がきっかけでした。これは、札幌在住の結核療養中の菅原豊氏が作っていたもので、綾子も光世も手紙などを投稿していました。光世は前号での綾子の文章を読み、「同じ旭川市と申し乍ら、何処に居られるか存じませぬ堀田様」と綾子を気遣う手紙を投稿しました。

これを読んだ編集者の菅原氏は、「光世」という名前から女性と思い込み、女性同士で励まし合えるだろうと、光世に「堀田さんを見舞ってください」と葉書を送ります。これが電話ではなく葉書だったことでロマンが生まれたのだなあと思わずにはいられません。こうして光世は綾子のもとへ見舞いに訪れるのでした。
また、この「いちじく」には綾子の文章も、綾子を信仰に導いた、幼馴染みで恋人の前川正の短歌も掲載されています。「故」と記されているのが何とも切なくなるのですが……。ぜひページをめくって探してみてください。

1階常設展示リニューアル

3月26日、常設展示リニューアル工事が始まりました。前日の夕方、展示資料を搬出し、ガランとなってしまった1階展示室。今までの常設展は10年前にリニューアルして以来の展示です。文学館に来てまだ3年の私にとっても、搬出作業は感慨深いものがありました。
文学館は今年の6月13日で開館20周年を迎えます。その記念事業として、常設展リニューアルの計画を進めてきました。「明るく」「楽しい」雰囲気の展示室にしたいと話をしていた時に、デザインチームから「展示室を仕切る壁を取り払ってはどうでしょう?」という提案がありました。壁がなくなると光が入って温かい雰囲気にもなるだろうし、1階ホールの柱が木を連想して林の中を歩いているイメージになるかも……?!
休館日の朝、職人さんたちによってシートが張り巡らされ、ついに壁が壊されて……。

リニューアルした展示室では、旭川の作家・三浦綾子にもっと親しみをもってほしいと願いから、「三浦綾子の背景に触れる」「作家活動に触れる」「言葉に触れる」をテーマにご紹介していきます。
4月6日(金)9時にリニューアル・オープン!お待ちしています!

3月27日(火)~31日(土)臨時休館
4月1日(日)~通常開館 ※ただし、1階喫茶室利用と2階展示室見学のみ(月曜休館、月曜祝日の場合は翌日)
4月6日(金)9時 1階展示室 リニューアル・オープン 

企画展こぼれ話9 テレビドラマ

展示準備で資料をあれこれ探していると、わくわくするものに出逢います。

例えば「氷点ブーム」がわかる雑誌の特集や、主題化のレコード、台本……。

作家デビュー作がドラマ化されて、それだけでもすごいことなのに、1時間の連続ドラマ。『氷点』の最初の連続ドラマの時など、その放送時間になると「風呂屋が空になった」とい言われていたほどで、綾子はいきなりお茶の間の人気者になったわけです。

今回の層雲峡・天人峡を舞台にした作品はほとんどがドラマ化されていて、中には『自我の構図』のように雑誌連載とテレビドラマ化が同時という画期的な企画(最初は『愛の誤算』としてスタート)もありました。展示ケースではドラマ化された作品の台本や当時の主題歌のレコードなども紹介しています。よくよく見ると、女優が主題歌を歌っていることがわかり、なかなか驚きです。

当時の新聞のテレビ番組欄を入手しましたので、探してみてくださいね。

 

1989年にテレビ朝日開局30周年記念ドラマとして『氷点』が放送された時は、玉置浩二さんが音楽を担当され、主題歌も歌ってくださいました。大切に保管していたレコード、この機会にぜひ聴いてみてください。

展示は3月25日(日)まで、2階第4展示室で開催しています。

 

企画展こぼれ話8 サスペンス

現在の企画展「三浦綾子サスペンス 層雲峡・天人峡に燃ゆ。」が始まったばかりの頃、ボランティアさんに、「この本はどこにあるのですか?」と何度も聞かれました。「ごめんなさい、本のタイトルではなくて、展示のタイトルです。」と説明すると「あ~!」と言われました。確かにちょっとありそうだったかも……?

企画展のタイトルは毎回悩みます。「何、これ?」とか「行ってみよう!」と思ってもらえるものをつけたいと、無い知恵絞ってひねり出しているのです。

三浦綾子は旭川を舞台にした小説を多く書いていますが、今回はもっとポイントを絞って層雲峡・天人峡を描いた作品を取り上げて紹介しています。層雲峡は綾子にとって光世との新婚旅行の思い出の場所です。穏やかな時間を過ごしたはずなのに、綾子の小説では、何か事件が起こったり、主人公の心情が大きく変化したりする場面として描かれています。この後主人公はどうなってしまうのか、読者がドキドキする場面です。『自我の構図』のように冒頭から天人峡で事件が起こる小説もあります。

「サスペンス」とは「ストーリーの展開において、この先どうなるのかという不安感・危機感を与えることで、観客・読者の興味をつなごうとする映画・演劇・小説の技巧」。つまり、作品で描かれている層雲峡・天人峡は綾子のサスペンス要素がつまった場所なのです。

サスペンスというと、火曜サスペンスが好きだった私は「崖」を連想しますが、ここは「峡」なので崖ではありません。「狭いところにいる時」つまり、追い詰められた心理。その時人はどうするのでしょうか。取材に訪れた綾子は、ここにある銀河の瀧を見上げています。

展示室には綾子も見上げた銀河の瀧をぶら下げています!綾子の視線を真似してみてくださいね。もちろん、展示室での記念撮影もOKです。

「見上げる目線が大事」が気になった方、続きは第4展示室で!

企画展 三浦文学と北海道(4) 三浦綾子サスペンス 層雲峡・天人峡に燃ゆ

開催にあたって

三浦綾子は、いわゆる推理小説は書きませんでしたが、『氷点』や『広き迷路』に代表されるように、読者に緊張感を与え、ぐいぐいと物語世界に引き込む作品を数多く書きました。

サスペンスといえば、よく海辺の断崖絶壁での告白シーンなどが思い浮かびますが、三浦綾子は違った目線を持っています。

ポイントなるのは、“見上げる”目線です。というのは、追いつめられた時の、心の向き方が大事だと三浦綾子は考えたからです。その目線を描くのに、層雲峡、天人峡はぴったりでした。押しかぶさってくるような柱状節理の岩肌を仰ぎ見上げることで、逆説的に主題を浮かび上がらせたと言えるでしょう。

この企画展では、層雲峡、天人峡が登場する作品を紹介しながら、三浦文学ならではの表現と、そこに込められたテーマをお伝えします。大型解説パネル8枚と、資料約30点を展示します。特に資料は、触っていただけるものもご用意しました。ご家族皆様でお楽しみください。

主催者

【開催期間】 2017年11月1日(木)〜2018年3月18日(日)
※10月は月曜日休館(月曜祝日の場合は翌平日)
【会   場】 三浦綾子記念文学館 2階第4展示室
【開館時間】 午前9時~午後5時
【入館料金】
[大人]500円、[大学・高校生]300円、[小・中学生]100円 ※[賛助会員]無料
[団体割引] 10名様以上は50円引
★土曜日は高校・中学・小学生は無料、同伴の保護者2名まで団体料金適用
★旭川市内の小中高校生が授業の一環として利用する場合は無料(事前にFAXかお電話でご連絡ください)
★障害者手帳をご提示いただいた方は無料

企画展こぼれ話7 作家を育てる編集部

この企画展のテーマは「明智光秀の娘・玉子の『道ありき』」であり、「玉子と綾子、二人の道は似ている?」なのですが、裏のテーマがあるとすれば「綾子は作家を育てる編集部と出逢った」ということです。

展示で紹介している貴重な写真は、どれも綾子のいい表情を捉えていて、編集部がカメラマンを同行して旭川の綾子を訪ねただけでなく、大阪や熊本などの取材旅行にも同行したことがわかります。歴史小説が初めての綾子のために取材旅行の日程を組んでくれただけでなく、編集長と担当編集者さらにカメラマンが同行するわけですから、作家・三浦綾子への期待は並々ならぬものだったと感じますし、駆け出し10年の作家を育てる気持ちが豊かにあったのだと思います。これは主婦の友社に限ったことではなく、他の出版社の方も同じでした。今までの企画展や現在の1階常設展にも、取材旅行などに雑誌編集者とカメラマンが同行してくださったおかげで記録されている写真がいくつもあります。

今回の展示パネルで編集長藤田さんへの電話インタビューを「創作秘話」として紹介しました。パネルには紹介しきれなかったのですが、藤田さんに「綾子さん、光世さんのことで一番印象深いことは」と尋ねると、「豊岡のご自宅を訪ねて帰るとき、お二人はいつも車が見えなくなるまで見送ってくださっていました。綾子さんが亡くなられた後に訪ねた時は、光世さんが一人で見送ってくださいました。その時にもう綾子さんはいないんだなあと思って涙がこぼれたことを今でも思っています」と話してくださいました。

展示ケースの一番最後には綾子を支え続けた主婦の友社の編集長藤田さんと担当編集者渡辺さんの当時を振り返る文章(三浦綾子作品集に収録)と共に、社長石川数雄氏からの手紙を展示しています。この手紙は1971年。綾子・光世が三浦商店を営んでいた店舗兼自宅から同じ豊岡の今の三浦家に引っ越した年です。実はこの引越祝いに石川氏はラジオを贈り、そのお礼に綾子はジャガイモを贈ったのでそのお礼の手紙です。この頃、綾子は『道ありき』三部作の『光あるうちに』を「主婦の友」に連載していました。石川氏から「今度はガラシャの道ありきを書いてください」と言われるのはこの手紙の後なのです。そして翌1972年11月には1回目の取材旅行、1973年1月から『細川ガラシャ夫人』の連載が始まるのです。

三浦文学でフットパス1日目 「泥流地帯の道」2

「泥流地帯の道」すがら、ずーっと続く田んぼ。ここってもしかして……と思ったら、井上さんが「このあたりは『泥流地帯』にも出てくる「三重団体」ですよ」と説明してくださいました。『続泥流地帯』の拓一と耕作の葛藤の日々はこのような美しい稔りを迎えているのだなあとあらためて思います。先日、土の館の館長が「悪い土ほどいい。変えていくことができるから」とおっしゃった言葉をふと思い出しました。

歩いていく中で何やら大きな虫が飛んでいるような音が。しきりに私達を追いかけてきます。頭上を見上げると……ドローン!?

「あれ、そういえば和寒町スタッフでツアーに参加しているあの方がいない!」と思ったら、鉄橋下をくぐり、開拓記念館が近付いてきたところで発見!

「え!ほんとに!?」

と一気にみんなのアイドル(?)になる和寒町スタッフ茂木さん。

どんな映像が撮影されたかは、文学館にも届けてくれるといういことですので、お楽しみに!

開拓記念館は大きな公園の中に建っています。皆様それぞれベンチに座って昼食タイム!お1人参加の方ばかりでしたが、一緒に歩いていく中で自然に親しくなり和やかな時間でした。

<お昼にはおいしいお弁当の他に、富良野メロンのおもてなし>

<「土」シリーズに続く小道具は手作り紙芝居>*井上さんはアイヌのお話を3本、手作り紙芝居で紹介してくださいました。山に親しみが持てるお話です。

<『泥流地帯』の碑>*この題字は綾子さんの字です(本文は書家の方)。ここであの泥流が襲ってきたときのシーンを朗読されると、込み上げてくるものがあります。

どこまでも追いかけて撮影してくれるドローンに手を振りながら歩き続け、専勝寺で「十勝岳爆発惨死者碑」の説明を受け、郷土館に無事到着しました。

ガイドはもちろん、細やかな準備をしてくださった上富良野の皆様、本当にありがとうございます。

「泥流地帯の道」を歩いた皆様、本当にお疲れさまでした!

 

三浦文学でフットパス1日目 「泥流地帯の道」1

8月26日(土)・27日(日)に「三浦文学でフットパス」が開催されました!

旭川駅に集合した時は土砂降りでしたが、「きっと晴れる!」という思いが届いたのか、道中で少しずつ雨が上がって、上富良野に到着した時は秋の空が広がり、まさにフットパス日和。

2年前、フットパス(「歩くことを楽しむための道」という意味でイギリスを発祥とする)のガイドをされているNPO法人野山人さんが、「大正15年の十勝岳噴火の際に泥流が通った道を歩きながら綾子さんの『泥流地帯』に触れてくださっている」ことを知りました。そこから「三浦文学でフットパス」事業が始まり、昨年初めて上富良野の「泥流地帯の道」、和寒の「塩狩峠の道」、旭川の「氷点の道」それぞれのフットパスを開催しました。今まで文学館で企画してきた「文学散歩」とは異なり、6kmや8kmと長い距離を歩き、その道のりも楽しもう、というものです。

*三浦文学の「文学散歩」とは……三浦文学で描かれている場所や三浦綾子自身にゆかりのある場所(例えば『氷点』の見本林、『泥流地帯』の上富良野、『ひつじが丘』の函館)にバスなどでご案内すること。車内はもちろん、その場所でも作品の世界観に浸れるガイドがある。

企画を進めていく中でフットパスの活動をされている方や「歩く」ことに興味がある方が多くいることを知り、「三浦文学のことは知らないけれど歩くのは好き」という方にも気軽に参加してもらって、「綾子さんのことを一つでも知ってほしい」という思いで今年も企画しました。今年は3つの道を1泊2日で歩くことにし、「フットパスを行う場所までバスでお連れする」という「文学散歩」の要素も加わりました。

文学館とこうして一緒に事業を行うのは2回目ということもあって、ガイドを務める野山人の佐川さん、井上さんにも熱が入ります。

<日新小学校跡>*『泥流地帯』では「日進」と表記。水音が聴こえてくる静かな場所。

<記念碑駐車場公園>*『泥流地帯』主人公の石村家があったと想定される場所。

要所要所に小道具を準備しておいてくださって、お客様も興味津々。先回りして準備してくださった野山人の皆様、ありがとうございます!

<泥流が流れた後の土の説明に皆様興味津々>*井上さんはさらに、土によって発芽はどう変化するかの実験もされていました!

<恐る恐る、硫黄の匂いがする泥流の土の匂いを嗅いでみます>

「泥流地帯の道」は泥流が流れた道ですので、道端には復興の際によけた石・岩もたくさんありました。『続泥流地帯』の拓一と耕作のやりとりを思い出しながら歩みを続けました。

企画展こぼれ話6 夫・細川忠興の繊細な一面

(写真:長岡京市・勝竜城公園本丸内にある、細川忠興・ガラシャの銅像)

玉子と細川忠興は、織田信長の命により16歳で結婚します。先日開催した上出恵子先生の文学講座で「綾子さんは歴史上の人物を実に大胆に描く」というお話がありましたが、忠興も玉子と初対面の7歳のシーンから生き生きと描かれています。武勇に秀でて信長にも気に入られていた凛々しい若者が、玉子の美しさに惹かれ弟と話す場面では意外に16歳らしい初々しさが描かれ親しみを覚えます。二人が結婚した当初は戦さ続きでしたが、忠興はその合間を縫って玉子のために手作りの百人一首かるたを作り玉子に贈りました。玉子が一枚一枚を手に取る描写は目に浮かぶようで印象的です。この「丹後の海」の章のラストには「この忠興手づくりの百人一首は、現在も細川家に伝えられて数枚が残っている」とあり、私はこれが実在するのかどうか一ファンとしてずっと気になっていました。綾子はそのかるたのことを取材して、創作ノートに「扇形」の画や「金箔を貼ってある」ことを記しています。

『細川ガラシャ夫人』が出版された後、1982年1月に東京・三越で「愛と信仰に生きた細川ガラシャ展」が開催されました。写真資料を調べると会場では綾子のサイン会も開催され大盛況だったようです。その当時の私はまだ三浦文学を知らず、東京から遠く離れた宮崎にいましたが、会場に足を運ばれてゆかりの品々をご覧になった方も多くいらっしゃることと思います。

今回の展示パネルを製作するにあたり、2015年に熊本県立美術館で細川コレクション展が開催されていたことを思い出しホームページを確認すると、「細川三斎筆 扇面歌留多」(「細川三斎」とは茶人である忠興のこと)と写真で紹介されていました。綾子の文章ではなぜか「数枚」と記されていたので気になって、「これって物語にも登場する忠興が作ったというあの歌留多のことですよね」と細川家のコレクションを保管されている永青文庫(東京)さんに問い合わせたところ、丁寧に教えてくださり、「戦国時代の結婚」というパネルでコメントを紹介させて頂くことができました。貴重資料のため実物をお借りすることは難しく実現できませんでしたが、いつの日かまた永青文庫で一般公開される時があることをひそかに願っています。

企画展こぼれ話5 綾子の創作ノート

展示を企画する中で最初に読み、中身を組み立てていく過程で何度も開く資料が綾子の創作ノートです。2年前、初めて綾子の創作ノートを手にとった時は、一ファンとして読んでみたいものの、「第三者に見せるものとして書いていないのに、こうして私などが読んでよいのか」と葛藤がありましたが、「三浦文学を多くの人に伝えたい」という思いで、手がかりのノートを残してくれた綾子に深く感謝して読んでいます。

作家が小説を書くまではいろいろなスタイルがあると思いますが、綾子の場合は次のような流れで書くことが多いようです。
1. 雑誌や新聞の連載依頼
2. 題材を決める(あるいは『細川ガラシャ夫人』のように題材も依頼される)
3. 資料調べ・現地取材(創作ノート)
4. 3と平行しながら創作ノートに調べたこと、人物設定、書き出しの文章などを綴る
5. 4と平行しつつ下書き原稿を執筆
6. 三浦光世との口述筆記を行い、編集部へ提出する原稿を執筆、最終稿へ

つまり創作ノートは執筆の裏側がわかり、綾子の作品への思いがたくさん詰まっているのです。
ノートには、彼女の自由で大胆な性格がそのまま表れているように感じます。たとえば順番に綴られているかと思えば、後ろから書き始めていたり、表紙に「取材ノート」と書かれていても、取材以外のことも書いていたりとまさに「書き散らし」の状態。赤ペンや二重丸を多く用いているのも特徴で、おもしろく感じます。またほとんどのノートの表紙に「三浦綾子」と名前を書き、中には住所まで記してあるものもあるので綾子の性格が垣間見えます。
今回は初めての歴史小説ということもあり、歴史上の登場人物について調べたことを秘書の方に年表としてまとめてもらい、綾子が赤字で書き込みをしているものもありました。また、現地で取材したと思われる日付とその見た様子が絵として描かれていたり、ノートの表紙に「華麗豪しゃなる大阪の城」などその取材した時の印象が書かれていたり、取材中の日曜日に出席した教会でのメッセージを書き留めていたりと、創作ノートのページをめくると綾子の様子が浮かんできます。
残念ながら解読が難しい部分もあるのですが、「ここはお見せたい」というところはなるべく展示するようにしています。
作家の資料というのは当たり前ですが文字だらけ。研究の面から見るととてもおもしろいのですが、展示するとなるとバランスが悪く、ご覧になる方は疲れてしまいます。創作ノートのあれもこれも展示したいと、最初はたくさん拡大コピーをしてみるのですが、バランスを考えてやむなく数点を外すことに……。
パネルは展示の企画意図を盛り込みながら物語の内容を紹介し、写真を多く用いて構成しました。展示ケースは「物語はどのように生まれるか」「取材や執筆を支える編集部の存在」を中心に紹介しています。絵画や彫刻のようにビジュアルで「おっ」と驚くものではないかもしれませんが、綾子の言葉が生まれた背景に少しでも触れて頂けたらと思うのです。